Novel

別れの果てに - 03

時間薬。

そんな言葉、一体誰が言ったのか。

胸にくすぶる思いを断ち切るように、髪を短く切った。

緩いパーマーを当て、思い切って髪色も明るく変えてみた。

皆からは似合うと褒められ、見た目は十分変わったと思う。

けれど、気持ちはちっとも楽にならない。

むしろ、逆だった。

眠れない夜が増え、別れの後悔が募る。

昼間はまだいい。隊務に追われ、隊員たちと忙しく過ごせるから。

でも、一人になると途端に考えてしまう。

特に夜は彼の温もりや優しい思い出があふれてきて、呼吸もできないほど胸が苦しくなる。

このままじゃいけない。

そう思い、他に目を向けるが、船にいるのは皆家族。誰も私の心に響かない。

時折見かけるマルコにばかり目を囚われ、その背を見ればそっと追い掛ける始末。

馬鹿だ、と思う。

自分でも呆れてしまうが、マルコの行動が気になって堪らないのだ。

先程も、隊務が終わり、皆が食堂へ向かうなか、夕食も摂らず一人地下へ降りて行くマルコを見つけ、私は思わずその背を追った。

未練がましく追い回してると知られるのは嫌で、時間を置いて階段を降りて行く。

そのせいで、マルコが何階まで降りたのか分からなかった。

モビーの地下は三階まである。

地下一階は書庫や娯楽室や談話室があって、この階を訪れる隊員は多い。今も、夕食を早く食べ終えた隊員がチラホラいる。

きっとマルコも居るだろう、とめぼしい部屋を覗いてみるが、彼の姿はなかった。

戻って階段をさらに降りる。

先ほどよりも幾分冷たい空気が、ひやりと頬を撫でていく。

地下二階は主に倉庫で、武器庫や弾薬庫、食糧庫や資材庫などがある。こちらもいくつか見て回るが、彼はいなかった。

地下三階は地下牢や船底くらいしかなく、そこに彼がいるとは思えない。

はぁ、とため息を吐く。

どこかで入れ違いにでもなったんだろう。

諦めろということだ。

戻ろう、と踵を返した時だった。

カタン、と小さな音がして、私は足を止めた。

音が響いたのはすぐ左側にある部屋からだった。

誰かいるのかと思ったが、この部屋は不要になった資料や備品などが保管されている物置で、ここに用のある人が居るとは思えない。

おそらく船の揺れで何か倒れたんだろう。そう思い、私は軽い気持ちで扉を開いた。

「…ん、あっ……」

ほんの少し扉を開けた瞬間、ノブを持つ手がぴたりと止まる。漏れ聞こえたのは女性の嬌声だった。

「あっ、んんっ……はぁ、きもち、い……っ」

明らかに、真っ最中の声。

固まる私。

しかしすぐに我に返り、慌てて扉を閉めようとした。

他人のそういう行為を覗き見するのはいけないことだから。

幸い、何も見ていない。

室内の人も、扉が開いたことには気付かず行為に没頭している様子。

気付かれなくて良かったと胸を撫で下ろし、息を殺して扉を閉める。

けれど、扉が閉まり切る、寸前。

「────静かにしろよい。外に聞こえるだろい」

聞こえてきた声に、ギクリ、と心臓が跳ねた。

少し掠れた、声。

特徴のある、語尾。

まさかと思いながら、確かめずにはいられなかった。

ドクン、ドクン、と騒ぐ心臓を抑えながら、そうっと扉を開く。

わずかな隙間から見えるのは、薄暗い室内。

その中に、重なる人影を見付けて目を凝らす。

女の方はナースだった。

短いナース服の裾をたくし上げ、積まれた木箱に手を付いて背後から男を受け入れている。

顔に掛かる彼女の長い黒髪が邪魔して、誰なのかは分からない。

だけど男は金髪で、一度見たら決して忘れないような髪型で……

「あんっ、…だって、……マルコ、隊…長が、激しい…んだもんっ…!」

甘い声でそう喘がれていたのは、

紛れもなく、マルコ本人だった。

ナースの細い腰を掴み、自らの腰を打ち付ける彼に、私はまるで雷にでも打たれたような衝撃を受ける。

嘘、だと言って欲しかった。

こんな光景を見るまで、マルコはまだ私に気持ちが残っているんじゃないかと自惚れていた。

やっぱり名前しかいないと、そのうち女遊びをやめて戻ってくるんじゃないかと、心のどこかで期待していた。

全部勝手な妄想だった。

都合の良いことばかりを考えていた自分が、余りにも愚かで、惨めで、全身の力が抜けていく。

眩暈がするほど、心も身体も打ちのめされた。

馬鹿な私。

一体何を思い描いていたんだろうか。

自分から終わらせた癖に。

私とマルコはとっくに終止符が打たれているのに。

皮肉にも、目の前で重なる二人がそれを証明している。

私の存在にも気付かず、行為に没頭する二人。

茫然と見つめていたが、部屋に充満する甘ったるい空気に気分が悪くなる。思わず込み上げてくる吐き気を抑えながら、扉を閉めようとした時だった。

背後から激しく突き上げられたナースが喘ぎながら乱れた髪をかき上げ、認識出来なかった彼女の顔がはっきりと見えた。

その顔を見て、思い出す。

彼女は二年前に乗船したナースで、私とマルコが恋仲だと知りながら、何度も彼に言い寄っていた人物だった。

もちろん気分の良いものではなかったが、その頃はまだ愛されている自覚はあったし、マルコも相手にしていなかった。だから忘れていた。

でも確か彼女の髪は淡い栗色で、いつも長い髪をクルクルと巻いてカールを付けていたはずだ。

なのに、今はマルコの好きな黒髪のストレートヘア。

髪を短く切って明るく染めた私とは対照的に、マルコ好みの容姿に変貌を遂げた彼女。

考えるまでもなく、答えは一つだ。

マルコは、彼女を選んだんだろう。

震える手で扉を閉める直前、彼女の黒髪を一房取り、口づけるマルコが見えた。

『船の女と色恋沙汰にはならねェよい。この先も、俺にはずっと名前だけだ』

昔、彼女に言い寄られている時にマルコが言ってくれた言葉。

その一言に、私がどれほど喜んだか。

いずれ誰かを受け入れるのなら、そんな言葉必要なかった──

結局、別れても辛いのは私だけだった。

マルコは次の道を進んでいるのに、私は未だに彼を引きずり、一人取り残されている。

マルコに抱かれる彼女を羨ましいとさえ思ってしまう自分が余りにも浅ましく、憐れで情けなかった。