Novel

彼は不死鳥 - 03

腕を引かれて連れてこられたのは、マルコ隊長の部屋だった。

捻った足に体重が掛からないように支えて貰ったお陰で楽に歩けた。

そして私はいま、マルコ隊長のベッドに座り、濡れたタオルで服を拭いてもらっている。

この船でオヤジの次に偉いマルコ隊長に、だ。

勿論、固辞した。彼氏といえど、そんなことはさせられないと。だが、聞き入れて貰えなかった。

それなら実力行使だと、タオルを奪いに行った私を簡単にいなし、彼は言い放ったのだ。

『大人しく出来ないなら、脱がすよい』と。

俺としてはそっちの方がラクだしねい、と不敵に笑われ、私はサッと白旗を掲げた次第である。

そうして軍配が上がったマルコ隊長に身を任せると、意外や意外。その手際のよさに目を瞠る。シミの裏側に乾いたタオルを挟み、上から濡れたタオルで軽く叩く。そうすると、乾いたタオルにシミが移りどんどん取れていくのだ。

「……さっきは悪かったねい。勝手に酒を飲んじまって」

鮮やかな手付きに目を奪われていると、マルコ隊長がふいに言葉を洩らした。

私は、フルフルと首を左右に振る。

「いえ構いません、元々エースのものですし。だけど、マルコ隊長には甘すぎたんじゃないですか? 飲んだ後、顔を顰めていましたが」

「……確かに甘かった。甘ったるすぎて喉の奥と腹ん中がムズムズするよい。特に果実の甘さが独特で、口ん中にまだ味が残ってるよい……」

「え、だったらどうして全部飲んだんですか?」

思ったままのことを口に出すと、マルコ隊長はしばらく考え込んで、答えた。

名前に、飲ませたくなかったんだよい」

飲ませたくなかった。

その言葉にハッとして、慌てて頭を下げる。

「そ、そうですよね、すみません。ただでさえ役立たずなのに、早々に戦線離脱しておいて希少なお酒を二杯も飲もうとするなんて、私如きが……」

「ちげェよい」

「え?」

名前はいつも頑張ってるだろい。その足だって、エースの炎に巻き込まれそうだった奴を助けた時に捻ったもんだろい。自分を卑下するのは、名前の悪い癖だよい」

……癖、と言われても私が使えないのは事実で。

だから新入りのエースにも無駄に絡まれ、馬鹿にされてしまう訳で……

それでも、下っ端の仕事である洗濯や、汚れ落としには少しばかり自信を持っていたが、マルコ隊長の手慣れたシミ抜きを前に、その自信さえも危うくなってきた。

というより喪失だ。

だってほら、もうこんなに落ちている。

彼の有能さは知っていたが、万能すぎて言葉も出ない。

これだけ落ちているんだ、あとは洗濯すれば驚きの白さを取り戻すだろう。

マルコ隊長にもう大丈夫です、と礼を告げると、彼は頷いてタオルをサイドテーブルに置いた。

それから少し沈黙して、ぽつりと言葉をこぼした。

「……腹が、立ったんだよい」

話の脈絡がわからず反応できずにいると、マルコ隊長はバツが悪そうに頭を掻いた。

「酒だよい。名前があのまま飲めば、エースの唇が触れたとこに名前の唇がつくだろい。俺だってまだ名前の唇に触れてないのに、そんなの許せるかよい」

ふい、と顔を逸らされ、その横顔を見つめる。

えっと、それはつまり……

私とエースの間接キスを阻止する為に甘ったるさを我慢して無理やりお酒を飲み干した、ということだろうか。

え、うそ、なんて可愛い人なんだろう。

立ち上がったマルコ隊長を見上げると、耳の縁がほんのりと赤く色付いている。

うわっ、本当に可愛い。どうしよう。

「…………じゃあ、してみます?」

キス、と告げながら、目の前に立つマルコ隊長の人差し指をきゅっと握る。

自分の口からこんな大胆な言葉が出るとは思いもしなかった。もちろんキスをするのは初めてだ。だけど、こんな可愛いことを言われたら、してみたくなった。

ドキドキしながら彼を見上げると、長い指先が私の指に絡んでくる。

「ほんとに、いいのかい」

確かめる彼に頷くと、ギシ、とベッドが揺れた。

マルコ隊長が乗り上げてきたのだ。

ゆっくりと近付いてくる彼の顔に、胸が逸る。

光が遮られ、影が落ちて、繋いだ手とは逆の手が、そっと頬に添えられる。

ああ、触れる。

もう、唇に触れちゃう……

ぎゅっと目を瞑った瞬間、唇に温かいモノが触れた。

思わず目を開けると、視認できないくらいマルコ隊長の顔が近くにあって、唇が確かに重なっている。

……いま、私、キスしているんだ。

人生で初めてのキスを、マルコ隊長と。

ああ、ああ。なんて柔らかいんだろう。

心地よくて、気持ちよくて、言葉にできない。

何度も目にしていたあの厚みのあるセクシーな唇とキスしているんだと思うと、心臓が破裂するんじゃないかと心配になるほど高鳴った。

ちゅ、と軽やかな音を響かせて唇が離れていく。

まだしていたかったのに、と名残惜しく思った瞬間、もう一度唇が重なる。と思ったら離れて、また重なって。

ちゅっ、ちゅっ、と親鳥が雛に餌をあげるみたいに何度も何度も啄まれて、気持ち良さに力が抜けてしまう。

それを見計らったように、マルコ隊長の舌がぬるりと歯列を割って侵入してきた。

「んんっ……」

あの果実酒よりも、もっともっと濃厚で甘い味が、彼の舌からする。

口の中に誰かの舌を迎えるなんて初めての感触だった。けれど、不快な感じは全くなかった。

それどころか、気持ちいい。

マルコ隊長の舌が私の上顎を撫でたり歯列をなぞったりするたび、ゾクゾクした感覚が背中を走り、たまらない気持ちになってしまう。

頭がぼんやりとして、自分がいまどうなっているのかも分からなくなる。

キスがこんなに気持ちいいものだなんて、私は知らなかった。