Novel
彼は不死鳥 - 02
「お前、マルコ隊長と付き合い始めたって本当か?」
その日も、敵船を沈めた夜恒例の宴が開かれていた。
煌々とランプの灯された広い甲板の上では楽器がかき鳴らされ、皆飲めや歌えやと大盛り上がりだ。
楽しそうなその様子を尻目に、隅の方でちびりちびりとお酒を堪能していると、どこからともなくやってきた同じ隊の下っ端が質問を投げかけながら、ドカッ、と断りもなく隣へ腰を下ろす。
「うん、本当だよ」
軽く返しながら口を付けるこのお酒は、本日沈めた船から奪ったもの。
なんでも希少性の高い果実が漬け込まれた、世にも珍しい果実酒らしい。
なにせ量が少ないので、今日の戦闘で活躍した我が七番隊にほんの少量ずつ振る舞われた訳だが……なるほど、これはうまい。果実の濃厚な甘さが後を引き、やみつきになる。
しかしながら、例にもれなく戦闘中邪魔にしかならず、軽症とはいえ怪我まで負って早々に戦線離脱した私にまで均等に振る舞ってくれるとは、いやはやまったくラクヨウ隊長の寛大さには恐れ入る。
ただのいい加減かも知れないが。
「やっぱそうなんだな、名前から告ったのか?」
「そうだよ。仕事が手につかなくて、いっそ振られようと思って告白したら、まさかのまさか。付き合って貰えることになったんだ」
「へェ、すごいじゃん。マルコ隊長、美人のナースが言い寄っても一ミリも靡かねェって噂なのに」
「ね、自分でも驚いてるよ」
「まあお前、黙ってたらそこそこ可愛いし、使えねェけど頑張りは見えるし、愛嬌だけはあるから、そこが良かったのかもな」
「……どこから目線だよ」
言っておくが、こいつとは同じ下っ端とはいえ年季が違う。こいつはたかだか乗船歴二ヶ月足らずの新人。
一方、私は六年以上も乗っている。歳も私が上。
前の船では船長をやっていたかなんだか知らないが、この船では私の方が遥かに先輩なのだ。
なのに私が使えないばかりに、こんな新入りにまでタメ口で馬鹿にされてしまう始末。
別に胸を張るつもりはないが、少しくらい敬ってくれてもいいと思うのは私のわがままでしょうか。
「てか、マルコ隊長の所には行かないのかよ」
あそこにいるぜ、と、手にしているグラスを軽く十時の方角へ傾ける新入り。月明かりでキラン、と光るルビーレッドのお酒は私が飲んでいるのと同じもの。違うのは、注がれた量の多さと果実が入っていることだ。
なぜ、敵船から奪ったおり、ひとつしか残っていなかった希少な果実がラクヨウ隊長ではなく、こんな新入りに与えられたのか……
それは何を隠そう、こいつが今日の立役者だからだ。
新入りのくせに、引くほど強かった。いや、マジ引いた。一人で敵船を沈めたといっても過言じゃない。
しかし、私の倍以上の量を注いで貰っておきながら、グラスの中身はほとんど減っていない。
見る限り、他の隊員も果実酒にはほぼ手付かずで違うお酒に手を出しているし、どうやらこの果実酒は男衆の舌には合わないようだ。
独特の甘さが苦手なんだろうか。
残すくらいなら私が貰いたい所だが、何の働きもしていない私如きが図々しいかと諦めて新入りに視線を戻す。
「うーん、行きたいのはやまやまだけど、さっきからラクヨウ隊長と話してるし、私みたいな下っ端が宴の席でマルコ隊長の傍に行くのはよした方がいいかな、と思ってたりする」
「なんでだ、付き合ってんだろ」
「一応、OKは貰ったよ」
「だったら、どんな場面だろうと気にせず傍に行けよ! それが恋人ってもんだろ!」
これが漫画なら背景に、ドン、と効果音がつきそうなほど熱く語る新入りに、私は少し身を引く。熱いのは苦手だ。
それに、私だって別に行きたくない訳じゃない。
……でも、よく見てよ、あの席。
隊長格しかいないでしょ。
そんな所に行く勇気、私にはないよ。
ナースさん達でさえ近付こうとしないのに、私なんかが行けるはずがないでしょうが。
しかも、あのラクヨウ隊長が、珍しく真面目な顔してマルコ隊長と話してるんだよ?
邪魔なんてしたら、あとでどんな雑務を言いつけられるかわかったもんじゃない。
あの噛み付く武器を磨かされた日にゃあ、いつ食い千切られるかわからない恐怖に戦々恐々としながら、そっと優しく撫でるように磨かなきゃならないんだぞ。
考えただけで身震いがする。
触らぬ神に祟りなしだ。
「アンタは単純でいいね」
言外に空気読めオーラを出してお酒を一口含む。甘い香りが舌に広がり鼻にすっと抜けていく。うん、やっぱり美味しい。
だけどちょっと飲みすぎたかな。
いい風吹いてるのに暑いし、なんだかちょっとぽーとしてきた。
「名前だって単純だろ」
「アンタよりはましよ」
火照ってきた気がする頬をさすりながら言い返すと「なんだと、このヤロー」と、そばかすの散る頬をわずかに膨らませる新入り。
そんな顔すると、年相応に見える。
鬼神のように強かったけど、まだ二十歳にもなっていないんだっけ、コイツ。末恐ろしいなー、と自分の世界に戻りつつまたお酒を含むと、新入りがふとテーブル代わりの樽の上にグラスを置いた。
そして置くやいなや、鉤のように立てた指先を私の脇腹にあて、わしゃわしゃと動かしてきたのだ。
「あ、ちょっ、なに、すん、のっ!」
座ったままの姿勢では防御もへったくれもない。逃げようにも背後は壁。出来うる限りで抵抗するが、無駄に強いコイツの手に掛かれば私なんて赤子同然だ。
「へっへー! 名前のくせに俺を馬鹿にするからこうなるんだ!」
にやりと唇を上げ、いたずらっ子炸裂のような顔で脇腹をくすぐる新入り。
……コイツ、名前のくせにって言いやがった! 名前の『くせに』って! お前こそ六つも年下のくせに、生意気だぞ!
いくら私がへっぽこクルーでも、そんな暴言吐くヤツはブラメンコ隊長ところのゴウダくらいなのに! アイツは顔を合わすたびいつも嫌味ったらしく……って、そんなことより放しやがれ! この野郎!!
文句を言ってやりたいが、新入りの手は止まらない。やりたい放題だ。
「っ、ちょ、まっ」
「やだね」
「や、めっ」
「い、や、だ、ね」
こちょこちょと皮膚の敏感な部分を刺激され、私は我慢ならなかった。普段はこれくらい堪えられそうだがなぜだか無性にくすぐったい。じっとしていられず、ひーひー笑いながら身悶えていると、持っていたグラスを思わずひっくり返してしまった。
パシャッ、と胸元に生温かい液体がかかり、甘ったるい香りが辺りに漂う。
「……なにやってんだよい」
ぴた、と固まる二人の頭上に落ちてくる声。つい先程まで、隊長席にいたはずのマルコ隊長のものだった。
マルコ隊長は呆れたように片手を腰に当て、私と新入りを見下ろしている。
「立てるかい、名前」
すっと大きな手が差し伸べられる。
綺麗な爪の形。指も長くて骨張ってて、こんな風に差し出されると変な汗をかいてしまう。
私は気付かれないよう手ひらを服でそっと拭い、恐る恐るその手に重ねた。と同時に握り込まれ、ぐん、と腕を引いて立たせてくれる。
今日の戦闘で軽くだけど足首を捻っていたから、手を貸して貰えて助かった。お礼を言うとマルコ隊長は三秒ほど私を見つめ眉根を寄せた。それから自分の上着を脱いで、私の肩に掛ける。
「あ、シャツが汚れます」
「いいから、それで胸元を隠しとけよい」
乱暴な口調とまでは言わないが、有無を言わせない威圧感があった。そんなに汚れが目立つんだろうか?
視線を下ろすと、着ていた白いタンクトップの胸元が鮮やかな赤紫色に染まっている。このシミは取るのに苦労しそうだ。よりにもよってこんな日に白を選んだ自分の不運を嘆きつつよく見ると、濡れたせいで肌に張り付き下着の模様(お気に入りの花柄)が、うっすらと浮かび上がっているではないか。
確かに一大事だ。
誰も私の下着事情なんて知りたくないだろう。
お言葉に甘えて羽織らせて貰ったシャツで胸元を隠すと、下に履いていたハイウエストのショートパンツまですっぽりと隠れる。それと同時に甘ったるい香りが和らぎ、マルコ隊長からいつもする爽やかな柑橘系の香りがふわっと鼻腔を擽った。
「悪かったよ、名前。ちょっとふざけたつもりが服まで汚しちまって……」
立ち上がり申し訳なさそうな表情を浮かべる新入りに、私は聖女のような微笑みを向ける。
「気にしなくていいよ、こぼしたのは私だし」
むしろグッジョブだ、新入り。と心の中で唱える。
そのお陰で私はいまマルコ隊長の脱ぎたてほやほやのシャツを羽織り、彼の匂いと温もりに包まれることが出来ているのだから。ああ、幸せだ。
『名前のくせに』と言ったさっきの暴言も水に流してやろう。
お酒も服に飲まれたが、それでも許そう。
「そうだ、名前! この酒やるよ。俺には甘すぎるし、飲みかけで悪いけど飲んでくれよ」
いいこと思いついた、といった感じで、新入りが樽の上に置いていたグラスを差し出してくる。
自分のお酒までくれようとするなんて……お前、ホントはいい奴だったんだな。馴れ馴れしくて苦手だったけど見直したよ。コイツの報酬分だけど、本人がくれると言うのだから問題はないだろう。
感慨に耽りながらもありがたく貰っておこうとした矢先、にゅっと横から伸びてきた大きな手がグラスをひょいと奪い、中のお酒を一気に煽って飲み干してしまう。
「ごちそうさん」
顰めた顔でぷはっと息を吐き出したのは、隣に立っていたマルコ隊長だった。
新入りの手に返されたグラスの中は、果実まで綺麗になくなっている。
一連の流れを目が点の私と新入りがぽけっと見ていると、マルコ隊長は新入りの方を向いて。
「おい、エース。今回は大目に見るが、人の彼女にちょっかい出してんじゃねェぞい」
と威嚇するように言い放ち、私の腕を引いて甲板を後にした。
引っ張られながら最後に振り返って見た新入り──エースは、空っぽのグラスを持ったまま呆然と立ち尽くしていて、なんかちょっと不憫だった。
間抜けな私がお酒をこぼさなければ良かっただけなのに、なんかごめん。
ちょっかいかけたつもりもないだろうに、ごめんね、エース。と胸中で詫びつつも、『彼女』と断言されたことに私は喜びを隠しきれないのであった。
