Novel

愛していると言ってくれ - 13

マルコ隊長が好きだった。

だから、こんな事になるなんて夢にも思わなかった。

「どうしよう……」

クッキリと縦線の入った検査薬を握りしめて、私は大きなため息を吐いた。

私がマルコ隊長を好きになったのは、この船に乗船したばかりの頃だった。

彼は迷路のような船内で、右も左も分からずに迷って泣きそうになっていた私の肩をポンと叩き、親身に話しかけてくれた。

『よぉ、昨日乗船した名前だろい。こんな場所で迷子かい? 案内してやるよ。おれは一番隊隊長のマルコだ。モビーは広いから慣れるまでは大変だろ。分からないことは遠慮せず何でも聞いてくれよい。よろしくな、名前

海賊船という新しい場所で、不安に押しつぶされそうになっていた気持ちを一瞬で取り除いてくれた彼に、私はすぐに恋に落ちた。

格好よくて、素敵なマルコ隊長。

付き合いたいなんて、そんな大それたことは考えていなかったけれど、毎日マルコ隊長を目で追ううち、彼には好きな人がいることを知った。

ナース歴八年目の先輩で、金髪ロングのものすごい美人。胸が大きくて、スタイルも抜群で、仕事も出来て、まさに大人の女性。

先輩を見るマルコ隊長の眼差しはとても優しくて、上陸している間は二人でよく島に降りていた。先輩も頻繁にマルコ隊長の部屋に出入りしていたから、てっきりお二人は付き合っているんだと思っていた。

……でも、そうじゃなかった。

先輩の本命は、サッチ隊長。

マルコ隊長には、サッチ隊長と仲良くなるために近付いただけだった。

私がそれを知ったのは、偶然会話を聞いてしまったから。

サッチ隊長とのパイプが欲しくて彼に近付いたんだけど、興味本位で寝たら彼、すごく上手でね。今まで寝たどの相手より良かったからそれ以来他のクルーはやめてマルコだけにしているのよ……と、先輩が他の先輩ナースに話していたのを。

しかも相手のナースさんが『そんなにいいなら、私もマルコ隊長と寝てみたいわ』と言うと、先輩はふふっと思わせぶりに笑い、『マルコは私にゾッコンだからそれは無理だと思うわ、残念ね』と、マルコ隊長が如何に自分を好きかというエピソードを語りだして……

本気で好かれているの知りながら、マルコ隊長の気持ちを弄ぶ先輩が信じられなかった。

お似合いの二人だと諦めていたのに、そうじゃなかった。

悔しかった。

やるせなかった。

だから、あの人がサッチ隊長と付き合い始めたと聞いた時、きっと表面上はポーカーフェイスの仮面を被り、悲しみを見せずに悲しんでいる不器用なマルコ隊長を元気付けたくて、以前宴で好きだと言っていたお酒を用意して彼を誘った。幻のお酒を用意するのは簡単じゃなかったけど、マルコ隊長の喜ぶ顔を見れると思うと頑張れた。

私なんかが誘ってもマルコ隊長は断るだろうと予想していたから、その時はお酒だけでも渡せればいいと思っていた。けれど、意外にも彼は応じてくれて。

それだけでも舞い上がるほど嬉しかったのに、まさか抱いてもらえるとは夢にも思わなかった。期待していなかったといえば嘘になるけど、本当に抱いてもらえるなんて思っていなかったから。

でもきっと、マルコ隊長は私が処女だと知ると、行為を止めてしまうと思った。そんな予感がした。

だから、先輩が話したであろう『ナースはみんな遊んでる』という噂を信じてる彼に、あえて否定はしなかった。

さすがに、挿入時は気付かれると覚悟していたけれど、マルコ隊長の……その……アレ、が、予想外に大きかったのと、出血が少量だったのが幸いした。

あの時、性交中に私を傷つけたと思ったマルコ隊長にあの部分をじっくりと凝視されたときは、顔から火が出そうなくらい恥ずかしくて、逃げ出したくなったけれど……マルコ隊長と一つになれたことは、今でも嬉しくて天にも昇りそうなほど幸せな瞬間だったことは確かだ。

それ以来、彼は毎日私を部屋に呼んだ。

私も誘われるまま身体を開いた。

そのことに、疑問は感じなかった。

私はマルコ隊長が好きだし、そうしていれば好きになって貰えるんじゃないかって、付き合って貰えるんじゃないかって、そう思っていたから。

でも、違ったんだ。

毎日抱かれても、彼は私を愛さない。

彼の瞳に、私は映っていない。

それに気付いた頃、私は自分が妊娠していることを知った。

バカだった。

もっと早くに関係を終わらせるべきだったのに。

分かりながらずるずると不毛な関係を続けてしまったのは、ベッドの中のマルコ隊長が優しかったから。

本当に愛されているんじゃないかって、錯覚するほどマルコ隊長は優しくて……

蕩けるほどの快感を与えながら『可愛い』と囁き、手を繋いでキスをして……果てるときは必ず『名前……』と掠れた切ない声で呼んでくれる。

それは、耳の奥に残るほど情熱的で。

そんな本物の恋人同士のような甘い彼との行為に溺れ、離れられなかった。

ううん、離れたくなかったんだ。

一歩部屋の外に出れば、声を掛けることすら許されていないのに……

きっと、マルコ隊長は私を捌け口としか見ていない。

船上で溜まる欲を解消する相手、それが私。

そんな私が妊娠を告げても、マルコ隊長は困るだけ。

堕胎してくれと言われるのがオチだ。

だって彼はこの大海賊団で、オヤジに次いで偉い人。

遥か雲の上の人なのだ。

本来なら、私なんかの手の届かない人。

私は先輩のおこぼれで、たまたま抱いて貰えただけの女。

立場は十分理解している。

でも、私は産みたかった。

どうしても産みたかった。

せっかく授かった命。無事に産まれる確証なんてないけれど、好きな人との間に芽生えた命を自ら散らせるなんて、私には出来ない。絶対に嫌だった。

しかしそうは言っても私一人で抱え込むには大きすぎる問題で……と言うより船の上ではどうすることもできない。

やはりマルコ隊長に相談するしかないと思うが、迷惑がられるに決まっている。

むしろ、マルコ隊長の手で堕胎の手術をされるかもしれない。

そんなのは、無理だ。

耐えられない。

だから、怖くて切り出せなかった。

それでも思い立って何度か告げようと試みたけれど、マルコ隊長は一向に私の話を聞こうとしなかった。

面倒事を言われると、彼自身感じていたんだろう。

最近では部屋へ行くとすぐ寝台に押し倒され、意識を飛ばすまで快感を与えられた。目を覚ますと彼は隣で眠っていて、私は他のナースさんにバレないように部屋へ戻るだけ。

そんな毎日を繰り返していたが、このまま黙ってるわけにもいかない。お腹の子は日々成長しているのだから。

だから、あの日。

決心して仕事の休憩中、彼の部屋へ行ったけれど──

扉の前で、私の足は凍りついた。

『ね、マルコ。私たち、付き合わない?』

ドクン、と心臓が跳ね上がる。

声の主は、あの人、だった。

きっと、サッチ隊長と別れたんだ……

身体の相性が良くないと、いつも愚痴っていたから。

マルコ隊長は何と返事をするんだろう……

盗み聞きなんていけないと思ったけれど、聞かずにはいられなかった。

扉の前で、耳をそばだてる。

でも、静かなままで……

きちんと閉まりきっていない扉から漏れる微かな灯りに導かれ、ふらっと身体が動いた。

そっと扉を押し、

中を覗いて、静かな理由を知る。

視線の先には、あの人を膝の上に乗せ、

あの人の唇に、キスしているマルコ隊長。

見た瞬間、息が止まりそうだった。

私は何を期待していたんだろう?

聞かなくったって、マルコ隊長の返事は分かっていたのに。

好きな人が自分の元へ戻ってきたんだもん。

断る理由なんて、ないよね……

そのまま立ち去ろうとしたけれど、カクンと膝の力が抜け、扉に当たってしまった。

コン、と響く小さな音。

しまった、と思った時には遅くて……

私に気付いたマルコ隊長が、気怠げな目を見開き、息を呑むのが分かった。

『なんでここにいるんだ』と、その目が言っていた。

今日は来れないと言っていたのに。

ごめんなさい、来てしまって……

ごめんなさい、見てしまって……

私は二人の邪魔をしてしまったことを詫びて、扉を閉めた。

一人で静かな廊下を歩いていると、どこからか、ぽた、ぽた、と小さな音が響いてくる。

音の正体が分からなくて、ふと下を見たら、床の木目に黒い染みが二つ。私が歩くたび増えていくそれに、やっと気付いた。

……ああ、私、泣いてるんだ、と。

お似合いの、二人だった。

美人揃いのナースさんの中でも一際綺麗な先輩と、落ち着いた大人の魅力が溢れる格好いいマルコ隊長。

キスしている二人は、まるで一枚の絵画のようだった。

いつか好きになって貰えるんじゃないか……なんて驕っていた私は、ただのバカだ。

私如きが相手にして貰える相手じゃないのに。

真っ直ぐ歩けなくて、壁を支えになんとか歩いていると後ろからマルコ隊長がやってきた。

まさか追いかけてくれるなんて、思ってもみなくて。

私の手首をギュッと握るマルコ隊長に、縋ってしまいそうだった。

必死に弁解するマルコ隊長に、何もかも打ち明けてしまいそうだった。

けれど……

やっと両思いになれたマルコ隊長の邪魔なんて、出来るはずがなかった。

──そして、次の日。

夜勤の仕事を終えた私は、自室には戻らずナース長の部屋へお邪魔した。

宿った命を告げるために。

妊娠を伝えると、ナース長は驚いて相手を問い質してきた。けれど、私は答えなかった。船を降りたいと言った。

お腹の子は私一人で育てると決めた。

父親がいなくても立派に育ててみせる。

私がそう言うと、ナース長は『これはあなた一人の問題じゃない。相手にも責任があることなのよ』と、諭すが、私の決意は変わらない。

頑として、相手の名を黙秘し、船を降りると言い張る私に困り果てたナース長は、私を船長の元へ連れて行った。

船長相手に、隠し通せるのか不安だったけれど、それは杞憂に終わった。

「おめぇが覚悟して決めたことなら、おれが口出すことじゃねぇ。停泊していた島は出航しちまって降りられねぇが、二週間後にまた上陸する。おめぇはそこで降りればいい。……心配すんな、おめぇにガキが出来たことは船の連中にゃ言わねぇし、おめぇとガキが暮らせる金は充分持たせてやるから。……それとな、名前。困ったことがあればいつでも知らせろ。船を降りても、おめぇはおれの娘、腹のガキはおれの孫だ。それだけは忘れるな」

船長の言葉に胸が、じんとする。

自分の勝手で下船を選んだのに、船長は船を降りた後のことまで考えてくれていた。

しかも、船長の計らいはそれだけじゃなく。

私が船を降りるまでの間、空いている個室があるから好きに使えと言ってくれた。

誰にも気兼ねせず、身体を労われと。

仕事も休んでいいと言われ、軽いつわりのような症状が出ている私を気遣い、食事もナース長が部屋へ直接運んでくれることになった。

そのお陰で、私はマルコ隊長にも先輩にも遭遇せずに済んだ。そうしている間に二週間が経ち、船が港に着いた。

あっという間だった。

二年間お世話になったこの船とも、今日でお別れだ。

でも悲観している暇はない。

お腹には子がいる。すぐに住む場所を見つけて、病院にも行かなくては。

船長とナース長に別れの挨拶をして、事前に纏めておいた荷物を持って甲板へ出る。

寄港時にはごった返していた甲板も、少し時間をずらした今は割と空いている。

大きく息を吸って空を見上げると、澄み渡る大空をウミネコが自由に飛び回っている。

ミィミィと鳴くその鳴き声は、私の新生活を応援してくれているようで、気持ちが少し和んだ。

さあ、これから新しい生活が待っている。

辛いこともあったけれど、マルコ隊長といた時間はやっぱり幸せだった。

『さよなら、マルコ隊長』

心の中でつぶやいて、私は昇降口へ向かった。