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愛していると言ってくれ - 12

その日から、おれは眠れない夜を過ごした。

昼間はまだいい。仕事で紛れるから。

問題は、夜だ。

体は疲れているはずなのに、ベッドに寝転んでも眠れない。

名前のことを考えれば考える程、罪の意識に苛まれ胸が苦しくなる。

処女を奪うつもりなんてなかった。

そんなつもりじゃなかった。

ただちょっと弄んでやるつもりだった。

あの女に踏みにじられた屈辱を晴らしたかっただけだ。

なのにおれは、名前が一番大切にしていたものを奪ってしまった。

取り返しのつかない過ちを心から悔い、名前に詫びたい気持ちでいっぱいだった。

でもどう償えばいいのか分からなくて……正直合わせる顔もない。

いまさら謝ったところで名前の貞操が戻るわけでもないし、名前も謝罪を望んでるとは思えない。

むしろ、余計に傷付けてしまいそうで躊躇いすら覚える。

しかし、どうしても一言詫びずにいられなくて名前を捜すが、名前は徹底的におれを避けているようで、おれの行く場所全てから姿を消していた。

名前に避けられているんだと認識した時、おれの胸は絞られるように切なく軋んだ。

逢いたい。

とにかく名前に逢いたい。

声が聞きたい。話がしたい。

顔が見たい。触れたい。

あの華奢な身体を思いっきり抱き締めて、甘い香りに包まれてキスしたい。

そんな感情が頭の中を占領し、関係の解消を告げられてからこの二週間、おれは名前のことしか考えられなかった。

逢いたい。

逢いたいよい。

名前……

廊下を歩きながら視線を彷徨わせる。

無意識に名前を捜すが、姿は見当たらない。

甲板に出ると、辺りが慌しかった。

隊員たちがバタバタと走り回り、停泊準備を進めている。

そういえば、島へ着くと航海士が言っていたと思い出す。

名前のことで頭がいっぱいで、すっかり抜け落ちていた。

……そうか、島に着いたのか。

前回たどり着いた島は上陸した翌朝に再び出港した。

島に降りていないおれは、いつもなら心が躍るはずだ。だが今は島なんかどうでもいい。

二週間。たった二週間名前に逢えないだけで、おれは気が狂いそうになっていた。

駆け回る隊員を避けながら、名前を捜す。

あちこち見て回るが、名前はいない。

仕事場である医務室にもいない。

出勤表を見ると、この二週間欠勤扱いになっている。

しかし、部屋にもいないし、ナースの休憩室にもいない。その場にいるナースに聞いても、知らない、見てない、わからない、と言うばかり。

どこにいるんだよい、名前…………

諦めて食堂に入り、味のしない昼飯を食う。

普段ならクルーが場所を取り合うほど混む時間帯なのに、上陸準備で忙しい今人影はまばらだ。

入り口から名前が入ってこないかと注意しながら飯を食っていると、勢いよく扉が開いた。

入ってきたのはエースだった。

よほど腹を空かせてるのかと思ったが、そうじゃなかった。

エースは食事が配られるカウンターには目もくれず、入り口付近でキョロキョロと誰かを探している。

その様子を見ていたおれの視線に気付くと、エースは一目散にこちらへやってくる。

……そして向かいの席に座るなり、身を乗り出してとんでもない話をおれに告げてきた。

その内容に、自分の耳を疑った。

息もうまく吸えないほど動転したおれは、しばらく言葉を失ったまま固まっていた。

「…………うそ、だろい」

辛うじて落とさずに済んだフォークをトレイに置き、うわ言のように呟く。そんなおれにエースは興奮気味に答えた。

「本当だって! いまそこで聞いたんだよ!

────名前が、妊娠してるって!」

くらり、と眩暈がする。

「……確か、なのかよい」

「ああ。ナース長が言ってたから間違いねェよ。相手を知らないか訊かれたけど知らねェし、おれじゃないとは言っておいた。名前に訊いても答えないんだって」

「……そうかい」

口元を押さえ、おれは動揺を悟られないように深い息を吐き出す。

……名前が、妊娠。

相手は確実に、おれだ。

毎回……なんてことはないが、心地いい名前の身体に溺れ、何度か中に出しちまってる。

万が一のため、事後に避妊薬を服用して貰っていたが、時々気を失った名前に飲ませるのを忘れたこともある。

あの女とは出来なかったから大丈夫だろうとタカを括っていたが、アイツはきっちり避妊薬を服用していたんだろう。

……くそったれが!

それならそうと言っとけばいいものを!

マルコの子どもが欲しいから中に、ってねだってたのはどこのどいつだよい。

なかなか出来ないから、てっきりおれにはその機能が欠けてるんだと思っていたが……

……そうか、

おれは、名前を妊娠させてしまったのか。

名前は元々月のものが不順らしく二、三ヶ月飛ぶのがざらだったようで、そのお陰で毎日呼び出せていた訳だが……まさかこんなことになるとは思いもしなかった。

あの日、名前が話したいことがあると言ったのは、このことだったんだろう。

なのにおれは話を聞こうともせずに。

最低だよい……

腹の子は、いま何ヶ月なんだろうか。

「あーあ、それにしてもショックだな。ナースが裏で男と寝てんのは知ってたけど、やっぱり名前も遊んでたんだな。好きだったのに辛ェなァー、チクショー」

ハァ、とため息をつきながらエースは頬杖をつく。

「しかも妊娠してるとか、ナースのくせに避妊もしなかったのかよ、って感じ。純情そうだったのに、完璧に騙されたよ。急に色気が出てきたのはそういうことだったんだな。てかさ、腹の中の子の相手を黙ってるのだって、実は『言わない』じゃなくて、遊びすぎて相手が誰だか『わからない』じゃねェかって勘ぐっちまうよな」

「……ちげェよ、エース。名前はそんな女じゃねェよい」

惚れてる女が妊娠したと聞けば、苛ついて必要以上に貶めたくなる気持ちは理解できる。しかし、名前を他のナースのように節操なしだと決め付けるエースの物言いに我慢できなくなった。

「……え、どうしたんだよ、マルコ」

呆気にとられたエースが訝しげに視線をよこす。だが、一度放った言葉は止まらない。おれは、エースを見据えて突き進む。

名前は、他のナースみたいに遊んだりしてねェよい。あいつは……名前は、ずっと処女を大切に守ってた。好きな奴に捧げるんだって。それを……おれが奪ったんだ」

「……え、なに言ってんだよマルコ。冗談だろ」

「いや、事実だよい」

「……っ、じゃあ、名前の腹の中の子って」

「……ああ、おれの子だよい」

必死に隠していた名前との関係を自ら暴露する。

口を滑らせたんじゃない。言わなきゃならなかった。

名前の相手はおれだと、名乗らなければいけなかった。

その義務が、おれにはある。

「えっ、え? デタラメだよな? だってこの間、名前に彼氏いるのかなって聞いたとき、マルコ『さあな』って言ってたじゃん」

戸惑うエースが顔を引きつらせる。

「……それは、名前とは付き合ってる訳じゃねェから、言えなかったんだよい」

名前と付き合ってないと言った瞬間、エースの額に青筋が走った。

「はあ!? 付き合ってねェってなんだよそれ! 意味わかんねェよ! 名前の相手はマルコなんだろ? だったら、マルコは名前と付き合う気もないくせに、好きな奴に捧げるって取っていた名前の処女を奪って妊娠させたってことなのかよ!!」

最低だな! と、エースが吐き捨てる。

声を荒らげるエースに周囲の目が一瞬集まるが、内容が内容だけに皆すぐに視線を逸らして何事もなかったように振る舞っている。

聞き耳は立てつつも、隊長同士の揉め事には関わらないのが一番だと、皆知っているんだろう。

エースはテーブルの上に置いた拳をギュッと固め、初めてこの船に来た時のような鋭い眼光でおれを睨み付けている。

エースが怒るのも、無理はない。

自分の惚れてる女が弄ばれてると知れば、怒って当然だ。

「……そうだな。初めは確かにそうだった。愛情があるわけでもないのに、名前を抱いた。ナースが遊んでるという噂を軽く信じて、名前が処女だとも知らず、簡単に手を出しちまった」

今更言い訳にしかならないが、おれはあるがままをエースに伝える。

「今は後悔してるよい……二週間前、名前に関係をやめたいと言われて、そのとき初めて名前に酷いことしたんだって気付いたんだ。馬鹿だろい。名前が処女だったことも、身体だけの関係に悩んでいたことも、妊娠していたことも、おれは何も気付いてやれなかった。いや、知ろうともしなかったんだ。ただ抱ければ良かった。お前ェの言う通り、おれは最低な野郎だったよい……」

洗いざらい白状すると、自分の勝手さが浮き彫りになり、名前への申し訳なさでいっぱいになる。

エースは黙っておれの言葉に耳を傾け、やがて俯いて独り言のように呟いた。

「今も……」

「…………」

「今も、名前に気持ちはねェのかよ……」

言葉に詰まる。

詰まったのは、返答できないからじゃない。

その言葉はエースではなく、名前に告げるべきだと思ったからだ。

答えは、とっくに出ている。

最初は自分で自分の感情に気付けなくて焦れた。

分からなくて、イライラした。

振り返れば、簡単なことなのに。

名前を毎日呼び出していたのは、名前をおれ以外の男に抱かせたくなかったからだ。

名前とエースが仲良く話すのを見て苛ついたのも、今考えればただのやきもちで……だから、あんなガキみたいにすげない態度をとってしまった。

あの女とキスの現場を見られたときだってそうだ。

咄嗟に追いかけたのは名前に嫌われたくなかったから。だから、必死に追いかけて誤解を解こうとしたんだ。

心の底では、名前にそばにいて欲しいと願っていた。

それを認めなかったのは、深入りするのが怖かったから。

名前に本気になって、あの女のように簡単に捨てられることに恐怖心を抱いていた。

傷付くことに怯えていた。

臆病になっていた。

だからおれは、自分の気持ちに向き合わずに逃げた。

わざと冷たくして、身体だけの割り切った関係だと目を背け続けたんだ。

「……どうなんだよ、マルコ」

沈黙するおれに、エースが今一度問う。

強い眼差しで射抜くエースの瞳を真っ向から受け止めて、おれは告げた。

「それは、名前に直接伝えるよい」

エースが納得したように頷く。

今のでおれの想いは伝わったようだ。

「とりあえず、おれはオヤジの元へ行ってくる。名前のことをきちんと話してくるよい」

椅子を引いて立ち上がると、「ここは片付けてやるから行ってこいよ」とエースが背中を押してくれる。

そのまま立ち去ろうとすると、ガシッと腕を掴まれた。

「きっちり責任とれよ。もし、名前を泣かせるようなことがあれば、腹の子ごとおれが貰うからな」

挑むような目で見つめるエースに力強く頷き、おれはその場を後にした。