Novel
愛していると言ってくれ - 11
暗闇で立ち尽くしていたおれが部屋に戻ると、女が我が物顔でベッドに寝そべっていた。
そこはお前の場所じゃねェ。
名前の場所だ。
そう。
名前の場所だった。
それも、もう違うけど。
「…………どけよい」
別れ際の名前の表情と言葉が頭の中をぐるぐると回り、何もかも忘れて眠りにつきたいのに。
図々しく人のベッドに居座る女の振る舞いにいい加減うんざりして露骨に不機嫌さを出すが、女に気にする様子は微塵もない。
「なにイライラしてるのよ。あの子と何かあったの?」
「お前ェには関係ねェよい」
「あら、随分な言い方ね。人を跳ねのけておいて。まさか、あの子と寝たりしてないでしょうね」
「……だから、お前には関係ねェって言ってるだろい。早くベッドから降りろよい」
「…………寝たのね? 信じられないわ。私がサッチ隊長と付き合ったからって、なにもあんな子どもに手を出すことないでしょ。胸だって私より全然小さいし、顔だって大したことないのに」
はっきり否定しなかったせいか、女は勝手に名前と寝たと断定して目くじらを立てる。
確かに、名前とは寝た。
毎晩のようにここでセックスしたさ。
でもこの女には一切関係ないはずだ。
だいたい関係を持っていた名前でさえ、この女とキスしてる所を見ても『自分がとやかく言うことじゃない』と責めやしなかったのに、なぜ他の男と三ヶ月以上付き合っていたこの女が、おれを非難するんだろう。
その神経が理解できない。
おれを自分の所有物か何かと勘違いしてないか。
そもそも、おれはこの女のどこに惚れていたんだろう。
一つも良い所を思い出せない。
いまは鼻につく濃厚で甘ったるい香水の匂いも、ぎゃあぎゃあ喚く真っ赤な唇も、鬱陶しくて仕方ない。
高飛車に名前を蔑むこの女に、嫌悪感と不快感しか感じない。
「……まあ、いいわ。今回は許してあげる。どうせ処女と寝てもつまらなかったでしょうし。ところで、さっきの返事は貰ってないけど、私たち付き合うことでいいわよね。それなら早く愉しみましょうよ。サッチ隊長と付き合って以来ずっと物足りなかったから、欲しくてたまらないの」
「ちょっとまて。いま、何て言った……」
言い返す気力もなくて聞き流していたが、女の何気なく零した言葉に、耳がピクリと動く。
「もうマルコったら、何度も恥ずかしいこと言わせないでよ。物足りなかったから欲しくてたまらないって……」
「ちげーよ。最初に言った方だよい」
「ああ、処女と寝てもつまらなかったでしょってやつ?」
「……あいつ、名前は処女なのかよい」
訊きながら、心臓が嫌な音を立てる。
「ええ、そうよ。ナースはみんな知ってるわ。好きな人とするまで貞操を守るんだって古臭い考えでね、クルーの誘いにも全く乗らないから今どき流行らないわよねって、みんなで笑っていたもの」
「……お前ェ、ナースはみんな遊んでるって言ってただろい。あれは嘘だったのかよい」
「そういえばそんなこと言ったわね。あの子以外みんな奔放に遊んでるもの、嘘じゃないでしょ。でも、どうしてそんなこと訊くのよ? あの子と寝たなら知ってるはずでしょ」
…………ああ、そうだ。
こいつの言う通り、名前とセックスしたなら知っていて当然だ。
なのにおれが気付かなかったのは、知ろうとしなかったから。
名前の気持ちに蓋をしたのと一緒。
知らない振りをしたからだ。
違和感はいくつもあったのに…………
キスに不慣れなのも、挿入時に苦痛に耐えていたのも、あれだけ慣らした膣があり得ないほど狭かったことも……本当は全部気付いていた。
あの、出血だってそうだ。
あれこそが、名前が処女である証なのに、おれは一瞬浮かんだそれをすぐに否定した。
そんなハズないと思い込んだ。
処女であるはずがないと。
認めたくなかったんだ。
責任なんて、取れないから。
取りたくないから。
ただ、この女の理不尽な仕打ちに対する仕返しに利用しただけで……
名前と付き合うつもりなんて、これっぽっちもなかったから。
相手は誰でも良かった。
たまたま都合よく名前がいた。
それだけの話。
だから、名前が処女だと言わないのをいいことに、おれは目を逸らし続けた。
知らない振りを決め込んだ。
「ねえマルコ、あの子の話はもういいわ。寝たと思ったのは私の勘違いなのね。やっぱりマルコは私じゃないとダメなんでしょ。だったら早くキテよ……」
女がベッドから半身を起こし、指先を腕に絡ませてくる。
瞬間、ぞわっと鳥肌が立った。
蛇が這うような、纏わり付くような不快な感触に、思わず女の手を払いのける。
「出て行けよい」
手を振り払われた女は、驚いた表情でおれを見上げる。
「……え、私たち付き合うんでしょ? どうして出て行けなんて、ひどいこと言うのよ。ねぇ、マルコ……」
吐き気がする。
媚びるような色目を使い、懲りずに手を伸ばしてくる女に心底嫌気がさす。
甘えた声と、か弱い仕草で迫れば、自分にベタ惚れだったおれが簡単に折れると信じて疑わないんだろう。
その魂胆が透けて見える女のわざとらしさに虫唾が走り、たまらず叫んでいた。
「触んじゃねェよい! お前ェとは付き合わねェし、セックスもしねェ。今すぐここから出て行って二度と部屋に来るんじゃねェよい。お前ェとはとっくに終わってんだ。とっとと失せろ、 目障りなんだよい!」
「……わ、わかったわ」
女のしつこさに、感情が爆発する。
激しい剣幕で捲し立てると、ようやくおれの本気を理解した女がベッドから降りた。
女は肌けた着衣を正しそのまま扉に向かう。その途中で一度立ち止まり、こちらを振り返った。
縋るような目でおれを見つめる女。
だが、擦り寄ろうとするのは、この女がおれを好きだからじゃない。
己への未練がないことに自信を挫かれて躍起になっているだけだ。
あんなに好きだったはずの気持ちは、すでに冷め切っている。
一片の感情も浮かばない。
早く出て行けと言わんばかりに、冷たい視線で一瞥すると、望みのないことを悟った女が悔しそうに部屋を出て行った。
やっと消えてくれた女に清清してベッドに寝転ぶと、名前の優しい香りが染み付いていたシーツに、あの女の甘ったるい匂いがこびり付いていて……
────くそっ!
舌打ちしてガバッと飛び起きたおれは、シーツを力任せに引っぺがし、ぐしゃぐしゃに丸めてゴミ箱へ突っ込んだ。
そのまま洗濯済みのシーツを取りに行こうとして、ふと足を止める。
裸のマットレスに染み付いた、小さな赤色。
名前を初めて抱いた日に付いたものだった。
あの日、名前はどんな気持ちだったんだろうか。
なぜ、初めてだと告げなかったんだろう。
なぜ、遊んでると決めつけたおれの言葉に否定しなかったんだろうか。
なぁ、名前……
どうしてお前は何も言わなかったんだよい……
