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愛していると言ってくれ - 02

昨夜は女の幸せそうな顔がチラついて、ほとんど眠れなかった。

相手の男も気になる。

女の口振りからおれと仲のいい誰かだと推察するが絞れず、気付いたら窓の外が白んでいた。

冷たい水で顔を洗い、冴えない気分のまま食堂へ向かう。

朝食をとる気力はないが、コーヒーは飲みたい。

廊下を進み、食堂に入る。

中は相変わらず腹を空かせたクルーたちで混雑していた。いつもの騒がしさが今日はわずらわしい。

適当に挨拶を返しながらさっさと奥へと進むと、厨房前のカウンター席に着くあの女を見つけた。

女は頬杖をつきながら、誰かを待っている。

テーブルの上に何も置かれていないところを見ると、おそらく、昨夜言っていた『彼氏』と一緒に朝食をとる約束でもしているんだろう。

苛立ちが込み上がる。

嫌味の一つでも言ってやりたくなるが、その感情はいったん頭の隅においやった。

まずは女の“彼氏”を知るのが先決だ。

さり気なく様子を伺っていると、女の視線がある一点から動いていないことに気が付いた。

視線は厨房の中に注がれている。

女の目線を辿ると、その先にいたのはバカでかい中華鍋を振るうサッチの姿だった。

サッチは、船の厨房を取り仕切る四番隊の隊長で、乗船時期が近く昔から仲もいい。

それにサッチといえば、以前は嫉妬深い彼女のせいで他の女と会話する機会はなかったが、最近その彼女と別れたとかで、色んな女と話している姿をよく目にしていた。

その中には、もちろんあの女も含まれている。

まさかとは思いつつ二人を視界に捉えていると、盛り付けた料理を部下に手渡したサッチがふと女の視線に気付く。

その瞬間、サッチは白い歯を見せて、女に軽く片手を上げた。

そして「もう少しで、終わるから」というようなことを身振りで示すと、女はその合図に嬉しそうに微笑み、ゆっくりとうなずいた。

「──はっ、サッチかよい」

「え? なにが?」

思わず漏れ出た声に素早く反応したのは、背後にいたエースだった。

「……あー、いや、何でもねェよい」

疑問符を浮かべるエースを適当にかわし、サーバーでコーヒーを淹れて移動しようとすると、おれの肩をエースが掴んできた。

「マルコ、それだけ? 体調でもわりィの?」

眉を寄せたエースが、コーヒーの入ったステンレスのマグを指してくる。

気分はすぐれないが、体は至って健康だ。

昨夜の出来事で食欲が湧かないのだが、それを正直に答えるつもりはない。

「昨日ちょいと食い過ぎて、胃がもたれてるんだよい」

「ならいいけど。でもなんつーか、マルコももう歳なんだな。おれなんて、どんだけ食っても、胃もたれしねェもん」

「お前ェは毎度毎度、食い過ぎなんだよい。ちったァ次の島に着くまでの食材のことも考えろい」

胸を張って大食い自慢するエースの頭に頭突きを食らわせて、素早く立ち去る。

背後で「痛ってェー!」とエースが叫んでいたが、知ったこっちゃない。無視して女を視野に入れない席についた。

新聞を広げ、熱いコーヒを啜る。

飲みながら気になる記事に目を通していると、すぐに山のような料理を抱えたエースが隣の席に陣取った。

「覇気を使うのはずるいぞ、マルコ」

「…………いいから、食えよい」

目線は新聞のままエースに食事を促すと、エースは信じられないスピードで豪快に魚介パスタや、ポテトピザやらを平らげていく。

大柄のジョズやブレンハイムならまだしも、おれとそう変わらないこの体型のどこにそんなに入るのか不思議だった。

すでに常人の三倍以上は食っている。

空っぽの皿が山積みになっていくが、エースの勢いは増す一方。

目の前にどんどん積まれていくその皿を半ば呆れながら眺めていたおれは、ため息を吐いて新聞を畳む。

これ以上間近でエースの食いっぷりを見ていると、本当に胃がもたれそうだった。

それに、サッチの仕事もあと少しで終わる頃。

サッチとは毎朝顔を合わせ、二、三会話をするが、さすがに今日は話す気にならない。

女も一緒なら、尚のこと。

そう思い席を立ちかけた瞬間、折悪しくサッチの声がした。

「おう! マルコ、エース! おはようさん」

両手に朝食プレートを携えたサッチが、真っ直ぐこちらに向かってくる。

チッ、遅かったか……

女を待たせていたから、普段より早めに仕事を切り上げたんだろう。

サッチならそうすることを計算に入れるのを忘れていたが、悔やんでも遅い。

さすがに、このタイミングで席を立つ訳にはいかず、仕方なく挨拶を返すと、サッチはおれの向かいにプレートを置いて席に着いた。

もう一つのプレートは自分の隣に置き、連れてきた女を座らせる。

そして席につくなり、サッチはわざとらしく「コホン」と咳払いをした。

「あー、実はな、おれ、コイツと付き合う事になったんだ」

サッチは隣の席の女の肩に手を置き、照れ臭そうに紹介する。

「おはようございます。マルコ隊長、エース隊長」

厨房で朝のひと仕事を終え、自慢のリーゼントが少しヨレたサッチの隣で、ペコリと頭を下げる女。

初々しく寄り添う女をチラリと一瞥すれば、“余計な事は言わないでね”と、女の瞳が訴えていた。

心配しなくても、言わねェよい………

本気で惚れてた女に都合よく遊ばれてました、なんて死んでも言うわけねェだろい。

「それは良かったじゃねェか、大事にしてやれよい」

おれがそう言ってやると、女は満足そうに微笑んだ。

その笑顔に、イラっとする。

内心舌打ちし、気持ちを落ち着けるためにコーヒーを啜っていると、今まで食事に夢中で挨拶すら返さなかったエースが、口いっぱいに肉を頬張ったまま顔をあげた。

「あべ? ぼばべ、ばるごど……」

「……エース。喋るときは、口の中のモンを飲み込んでからにしろよい」

……ったく、こいつは一体いくつだよい。

いくら無法者の海賊とはいえ、食事のマナーくらいは叩き込んどくべきだった。

じろりと横目で睨むと、エースは慌てて口の中のものをゴクンと飲み込んだ。

そして、胡乱げに女を見て空になった口を開く。

「お前ェ、マルコと付き合ってたんじゃねェの? マルコの部屋によく出入りしてたから、おれてっきりそう思ってたんだけど」

エースの言葉に、サッチも大きくうなずいてみせる。

「ああ、その気持ちわかるぜエース。おれもマルコの女だと思ってたからさ、告白された時は思わず『マルコと別れたのか?』って、聞いちまったよ」

隊長二人に指摘されても動じず、女は素知らぬ顔で驚いた振りをする。

「あら、エース隊長までそんな勘違いを? マルコ隊長の部屋へは仕事の報告で行くことが多かったんですよ。ついでに恋愛相談にも乗って頂いてましたけど。だってマルコ隊長ったら、とっても聞き上手なんですもの。優しく聞いてもらえるからついつい長居しちゃって。ね、マルコ隊長」

澄ました声で平然と嘯く女に反吐が出る。

昨夜もおれのベッドで乱れていたくせに。

散々抱かれた男に向かって、よくもまあ抜け抜けと恋愛相談していたなんて、ほざけるものだ。

それでもこんな不愉快な茶番に付き合ってやるのは、己の矜恃のためで……

決して未練がある訳じゃないんだと、自分に言い聞かせる。

「ああ、そうだよい。こいつからはよく恋愛相談を受けていた。サッチのことが、好きでたまらないらしいよい」

おれを、利用するくらいにな。

そう吐き捨てたい気持ちを抑えて、普段通りに振舞う。

しかし、取り繕うおれの気持ちを知ってか知らずか、女はお構いなしに惚気話を続ける。

サッチに向かって「お付き合い出来て嬉しいです」やら「初めてお会いしたときからお慕いしていました」などと言いながら、サッチの太い腕にしな垂れかかる女。

サッチも満更ではないようで、「おれもいい女だと目を付けてた」なんて返す二人のやり取りに、いよいよ嫌気がさしてくる。

サッチに惚れてるくせに、どんな想いでおれに抱かれていたんだろう。

目を閉じて、サッチを思い浮かべていたんだろうか。

おれにサッチを重ねて見ていたんだろうか。

そう思うと、酷くやるせなかった。

腹の奥からどろどろとした、重たい何かが込み上げてくる。体中がこのコーヒーと同じような、どす黒い色で溢れ返りそうだった。

何もかもぶち撒けたくなる感情を、冷めきったコーヒーと共に腹の中に流し込むと、おれは仕事があるからと断り早々に席を立つ。

エース一人を惚気の場に残していくことに少しばかりの罪悪感を感じて目をやると、奴は肉を突き刺したフォークを片手に持ったまま、チャーハンに顔を突っ込んで眠っていた。

それを見て何だかどっと疲れたおれは、さっさと食堂を後にし、頭を切り替えた。