Novel
365日の光 - 13
昔、交戦中の街で少女を見つけた。
体はガリガリ。身なりも粗末で、洋服の寸法も合っていない薄汚れた少女。
まるで昔の自分……いや、弟の菊之丞を見ているようだった。
少女の顔や雰囲気も、どことなく菊に似ていた。
少女は、おれたちが混戦しているなか、町人が避難している教会とは別の方角に向かっていた。
海賊どもに見つからないよう大通りを避けているが、敵が放った火のせいで、街中至る場所から炎が上がっている。
どこへ向かっているか知らないが、幼い少女一人で行かせるには危険すぎる。
保護しよう。
そう思い、持ち場を離れようとしたときだった。
ガラ空きの背中を狙う敵がいた。
素早く振り返り、どてっ腹に銃弾を撃ち込む。
敵が倒れるのを確認して視線を戻すが、その一瞬で少女は消えていた。
すぐに追いかけるが、姿はない。
炎に焼かれた家屋は今にも崩れ落ちそうだ。
黒煙も充満している。
付近の路地を捜索するが、少女は見つからない。
次にその少女を見つけたのは、敵の仕掛けた爆弾が爆発した瞬間だった。
一足遅かった。
少女の小さな身体は爆風に巻き込まれ、壁に激突する寸前。
ここからでは距離がありすぎる。
だめだ。どうやっても間に合わない。
あわやという時。
青い閃光が煌き、少女を救った。
────それから、数年後
少女はこの船に現れた。
マルコに会うために……
「────はい、出来ました」
きっちりと角が止められた数枚の書類を受け取り、目を通す。
乱雑な野郎の文字とは違い、丁寧に書かれた綺麗な文字は読みやすい。
マルコと付き合い始めた名前に朝の書類はもう手伝わなくていいと一度は断ったものの、急ぎの書類を数回……いや、数十回頼んでいる内に『マルコ隊長が食堂へ行ったあとなら時間がありますから』と、マルコと付き合いのペースを掴んだ名前が、再び書類の手伝いをしてくれるようになった。
名前がいない間、他の部下に書類を任せたが、誤字や脱字だらけ。おまけに計算間違いも多く、訂正に余計な時間を取られてほとほと困っていたので、名前の申し出は正直ありがたいものだった。
相変わらずミス一つない完璧な書類に署名し、大きな茶封筒に入れて名前に差し出す。
「今回も不備はなかったよ。あとでマルコに提出しておいてくれ」
「わかりました」と、元気よく封筒を受け取ると、名前はマルコに会えるのが嬉しいんだろう。鼻歌を歌いながら、机に散らばった文具品を片付け始める。
星の模様が散らばった水色の筆箱に、ハートのチャームが付いたペンと、キラキラ眩しい修正テープを入れ、サメのホッチキスと……ありゃあ、なんだ? どこかで見た気もするが、なにかよくわからん帽子を被ったヒトデみたいなキャラクターがプリントされたファイルや付箋やらを纏めて、棚の引き出しに仕舞う。
元々そこには銃の手入れ用具を収納していた場所だが、今は空けて名前の文具品を入れている。
おれの部屋にも文具くらいあるが、可愛い文具収集癖のある名前は、シンプルなおれの物だとやる気が起きないらしい。
最初の頃は文具品や事務用品を来るたび持ち込んでいたが、さすがに毎回大変だろうと名前専用の引き出しを作ったのだ。
「あれ? そういえば、この棚の上に煙草盆置いてませんでしたっけ? 取手の付いた茶色いやつ。レトロで可愛いなと思ってたんですけど、どこかに移動したんですか?」
言いながら、名前は部屋の中を無遠慮に見渡す。
「ああ、アレなら捨てたよ。やめたから必要なくなってね」
「えっ、やめたってどういう風の吹き回しですか!? 前に私が煙い煙いって言ってた時は『簡単にやめられるか』って、全くやめようとしなかったのに」
「当たり前だろ。なんでおれが、朝しか来ねぇお前ぇの為に煙管やめなきゃなんねぇんだよ」
「じゃあ、どうしてやめたんですか?」
おれの禁煙がよっぽど意外なのか、名前は距離を詰め、興味津々に迫ってくる。
額の傷痕はまだ痛々しく残っているが、間近で見る名前の顔は以前に比べて本当に可愛くなったもんだ、としみじみ思う。
指導した化粧のお陰もあるだろうが、マルコと付き合いだしてからの名前は、恋する女特有のフェロモンでも出ているのか、光り輝くようだった。
「願掛けだよ、願掛け。断ち物して願いを懸けたんだ」
やめた理由をあっさり告げると、名前は目を瞬かせる。
「願掛けって、イゾウ隊長に信仰心なんてものがあったんですか!?」
「失礼な奴だな。おれだってそれなりにはあるさ」
大袈裟に驚く名前に、スッと目を細める。
しかし、名前はまったく意に介さず、桃色のリップを乗せた唇の端を上げ、ニヤリと企むように笑う。
「…………で、どんな願いを懸けたんですか?」
「ああ、実はな……って、あほか。言うわけねぇだろ」
「えー、教えてくださいよ! 私とイゾウ隊長の仲じゃないですか」
「ただの上司と部下だ。いやだね」
すげなく断り、話を終わらそうとするが、名前に終わらせる気はないようだ。
食い下がり、意固地になって聞き出そうと、過去のことを引き合いに出してくる。
「ずるいですよ、イゾウ隊長。私からは何でも聞き出すくせに自分のことは教えないなんて! 私はいつも誠実に答えてるんだから、イゾウ隊長も誠意を持って答えて下さい!」
「おれは何も聞き出しちゃいねぇよ。お前がペラペラしゃべるんだろ」
「違いますよ! 質問に答えるまでイゾウ隊長が話を終わらせてくれないからです! だから私も終わらせません!教えて下さい。イゾウ隊長だけ言わないなんて、ずるいです。ずるい、ずるい、ずるーい!」
「あー、うるせぇ。分かった。教えるから少し黙れ」
ぷうっと頬を膨らませ、ずるいずるいと喚く名前にげんなりしてつい教えると口走る。
まったく子どもか、と半ば呆れそうになるが、本音を言えばそれを聞いた名前の反応を見てみたい気持ちもあった。
黙れと言われた名前は両手で口を塞ぎながら先ほどの表情を一転させ、キラキラと瞳を輝かせる。
願掛けの内容を知るのがそんなに嬉しいのかと、一瞬噴き出しそうになるが、咳払いで何とか誤魔化した。
「惚れた女が、幸せになるように願ったんだよ」
約束通り内容を打ち明けるが、名前の顔は納得していない。
今ひとつ意味が理解できなかったのか、怪訝な顔つきで首を傾げる。
「……それって、どう言う意味ですか? 好きな人なら、イゾウ隊長が幸せにしてあげればいいと思うんですが。って、それよりイゾウ隊長、好きな人いたんですね! 自分にしか興味のない人だと思っていたからびっくりしました」
こっちこそお前の言い草にびっくりだ。
「……人をなんだと思ってんだよ。そりゃあおれにだって、好いた女ぐらいいるさ」
「どんなタイプの人ですか? 美人さん? それとも可愛い系? もしかして、この船の人? まさかナースさんとか!? それとも、島に残してきた女性だったり!?」
俗に言う恋バナが楽しいのか、ルンルン気分で質問を重ねる名前に深いため息を吐く。
「……お前ねぇ、訊けば何でも答えて貰えると思ってるなら大間違いだぞ」
「教えてくれないんですか!?」
「当たり前だろ」
「そうですか。じゃあ、仕方ない……」
諦めてくれたかと安心するが、違った。
「デザートのプリンで手を打ちませんか?」
「そんなモンで釣られるか!」
「ゼリーも付けますから!」
「……いらねぇ、って、お前ぇ、おれが甘いもの苦手なの知ってるだろ。嫌がらせか」
「違いますよ。私の好物を献上する代わりに教えてください、って意味です」
開いた口が塞がらない、とはまさにこのことだ。
自信に満ちた顔で無茶苦茶な理論を展開する名前に頭痛がしてくる。
誰だ、こいつにこんな交渉の仕方を教えたのは……
