Novel

365日の光 - 12

ない。

ない。ない。ない。

思わず毛布を捲って確かめるが、着ている服はあの日と同じまま。だったらなぜないの? と思い付くポケットを全部探るが、どこにもない。普段は何も入れない尻ポケットにも手を突っ込むが、そこにもない。

え、なんで、どうして、ないの……?

大切なものなのにどこでなくしたんだろう。冷たい汗が背中を伝う。パニクって視線を彷徨わせると、バチッとマルコ隊長と目が合った。

一秒にも満たない間。

だけど、その吸い込まれそうな青い瞳を見た瞬間、全て思い出した。

そうだ、そうだ、そうだっ!!

あのとき、落ちたのを拾われて、アイツらにクシャクシャポイッ、って棄てられたんだった!!

なんでこんな大事なこと忘れてたんだろ!?

やっぱり頭を強く打ったせい?

それともショックが大きくて、忘れちゃった!?

どちらにせよ記憶が蘇り、私の宝物を無惨に棄てたあの海賊への怒りをふつふつ沸かせていると、毛布の中でゴソゴソする私を黙って眺めていたマルコ隊長が、おもむろに自身のポケットから何かを取り出した。

そして、それをスッと私に差し出す。

瞬間、私はフリーズした。

名前の捜し物は、これかい?」

シワが伸ばされ、綺麗に折り畳まれた薄茶色の紙片。

見覚えのありまくるソレに、背中を冷たくしていた汗がさらに噴き出す。

暇さえあれば眺めていたせいで、奴らにクシャクシャにされたのを差し引いても、ふた月前に仕入れたとは思えないほど年季の入った、代物。

『マルコ隊長の手配書』だ。

よもや、コレを直接本人から差し出される日が来ようとは、かのマダムシャーリーにも予見できなかっただろう。

恐る恐る受け取り、中身を確かる。

……間違いなく私のモノだ。

「……えーと、その、これを、どこで……?」

あの現場に落ちていたんだとは思うが、念のため訊く。

動揺しまくりで、しどろもどろな私とは違い、マルコ隊長は流暢に答えてくれる。

名前を助けた現場に落ちていたんだよい。イゾウが拾って確認したんだが『名前の物だから返しておいてくれ』って、言付かってねい」

ガッデム!!

イゾウ隊長は一体何を考えているんだ。

正気か?狂人なのか?

本人に託すなんてあり得ないだろう。

「…………あの、ちなみに、マルコ隊長は中を、ご覧に……?」

しかし、まだ希望はある。

手配書なのは一目瞭然だが、誰の手配書か分からなければ、いくらでも誤魔化しは効く。

「ああ、見たよい……」

……はずだった。

なのに、あっけないほどあっさりと答えられ、私はオワッタ。

これを見れば、しつこく私が未練を残しているのは言わずもがなだ。

そもそも自分の手配書を後生大事に持ち歩かれて、こんなヨレヨレになるまで見られてるなんて、絶対気持ち悪いよね。血まで付けちゃって、ホントにごめんなさい。

動ける体なら、いますぐ海底に沈んでこの身を海王類に捧げている。

しかし、生憎怪我のせいでこの場から逃げ出すこともできない。

非常にいたたまれない。非常に……

血迷った私は一瞬気絶したフリをしようと考えるが、ドクターマルコ様には通用しないだろうと観念する他なかった。

微妙な沈黙が流れていく。

静かだ。うるさいほどに静かだ。

「見た」と言ったきり反応を示さないマルコ隊長をチラッと横目で窺うと、指先で額を掻きながら、居心地悪そうに眉間にシワを寄せている。

ああ……引いてる。

完全にドン引きしてる。

逃げたい。でも逃げられない。

あー、もう!

全部、イゾウ隊長のせいだ!

イゾウ隊長が手配書を本人に託すから、こんな変な空気になってるんだ。

恨んでやる。一生。命の限り。

「すまねェ……」

謝っても許すもんか! と気持ちを固める私に届く、謝罪の言葉。

へ? なんでマルコ隊長が私に謝るの?

呆気に取られていると、マルコ隊長はバツが悪そうに首の後ろをさする。

「……イゾウから渡された時、中は見るなよってきつく止められてたんだよい。でも我慢できなくて……つい、見ちまって……」

「えっ? 我慢できなくて、って……」

どう言う意味だろう?

見るな、見るな、って禁止されると逆に見たくなるカリギュラ効果的な?

それとも、ただの興味本位?

理由の分析をしていると、マルコ隊長が躊躇いがちに口を開く。

「…………実は、名前が来なくなってから、名前を探して目で追ってた」

ぼそりと呟く、マルコ隊長。

しかし、しっかりと聞こえたその内容に目を見開く。

ズキッと傷に痛みが走るが、構わずマルコ隊長を見上げる。

「……だから、名前が誰かの手配書を持ち歩いてるのは知ってたんだよい。それを写真代わりに眺めているのも。……でも、誰の手配書か分からず気になってて……そんなとき、イゾウに渡されて……見ちまったんだよい」

うそ、でしょ……

思わず、叫び出しそうになる口元を手の平で押さえる。

「勝手に見て悪かったよい。……でも、それがおれの手配書だと知って嬉しかった。名前はおれなんかとっくに吹っ切ってると思ってたからよい……実際、名前が若ェ奴にそう言ってるのを何度も盗み聞きしちまったしな」

次々と明かされる衝撃の事実に、頭がついていかない。

行動を知るほど、私を見てたってことだよね……?

……どうして?

どうして、マルコ隊長が私を見るの?

それに、私が見ていた手配書が自分ので嬉しい、だなんて……

そんなことを聞くと、まるでマルコ隊長が、私を好きみたいに聞こえる。

自惚れてしまう。

でも……違う。

そんなはずない。

そんなはずがないんだ。

自分にそう言い聞かせるが、淡い期待が収拾もつかないほど大きく膨らんでいく。高揚感に胸が高鳴り、心が揺れる。

「いまさら言うのは遅いかもしれない。でも、聞いてほしい」

そう前置きしたマルコ隊長は数秒の沈黙のあと、緊張した面持ちで口を開いた。

「好きだよい、名前。おれと付き合ってくれ」

ドクン、と心臓が大きく弾む。

………………でも、

「……う、っ、嘘だ……っ!」

嘘だ。

嘘だ。

嘘だ。

死ぬほど嬉しい言葉なのに、私の口から飛び出したのは否定の言葉だった。

マルコ隊長が私を好きだなんて、あり得ない。

絶対にあるがはずない。

何度も何度も告白して、

何度も何度も、振られた。

『彼女になれますか?』と、聞いて

名前とは付き合えない』と、マルコ隊長はキッパリと断った。

なのに、いきなり心変わりしたかのように好きだと言われても、にわかには信じられない。

受け入れられるはずがない。

「…………そう、だよねい。当然だ。何度も名前を傷付けたくせに、信じてもらおうなんて虫がよすぎる。自分でも空々しいと思うよい」

そうだよ。

ずるいよ。

勝手だよ。

そんなの、信じられるわけない。

そう思うのに、マルコ隊長らしからぬ弱々しい自信の消えた声に、言葉を忘れたように黙って聞いてしまう。

「……あの日から、後悔ばかりだよい。名前に惹かれているに違うと否定して。つまらないことを言い訳に、名前の一生懸命な想いを一時的な熱病だと決め付けて拒絶して……本当は名前を受け入れるだけの勇気がおれになかっただけなのに」

最低だよな、とマルコ隊長が項垂れる。

「イゾウはとっくにおれの本音を見透かしてて、素直になれって何べんも忠告されたのに全部突っぱねて……結局、名前が来なくなってから死ぬほど後悔するおれは、イゾウの言う通り、意気地なしの愚か者だよい」

脳裏にイゾウ隊長の姿が蘇る。

私の部屋で、腕組みする怖い顔したイゾウ隊長の姿。

あれは、確かマルコ隊長に最後の告白をして振られた日だった。

あの日、イゾウ隊長はマルコ隊長を罵っていた。

てっきり喧嘩でもしたのかと思っていたが、そうか。

イゾウ隊長は私のことで怒ってくれてたんだ。そうか……

マルコ隊長は青い瞳に暗い影をのせ、過去を悔やみ嘆いている。

その懺悔のような言葉と、苦しげな表情に、ざわざわと胸が掻き乱されていく。

「気が気じゃなかったよい。どんどん可愛くなる名前を、誰かに取られるんじゃないかって……若ェ奴が名前に言い寄るたびに、焦りと嫉妬で頭がどうにかなりそうだった」

時折唇を噛みしめながら、マルコ隊長は言葉を紡ぐ。

「でも名前を拒み、傷付け続けたおれが今さら……と、気持ちを殺していたが、名前が死ぬかもしれないと思ったとき、耐えられなかった……なんで名前を傍に置いて守らなかったんだって、自分を責めて気が狂いそうだったよい……」

喉の奥から絞り出すような声でそう告げると、マルコ隊長は床に跪き、私の手を取った。

重ねられた手のひらが、熱い。

ぐっと近付いた距離から、吸い込まれそうな青い瞳が、じっと私を見つめる。

あの頃と変わらない、澄んだ青い瞳が真摯に私に降り注ぐ。

「好きだ……名前。誰にもやりたくねェ。おれと付き合ってくれ。一生大切にする……」

まるで、祈りを捧げるように両手で私の手を包み、懇願するマルコ隊長。

そのひたむきな姿に、苦しくなるほど胸がいっぱいになる。

私に思いの丈をぶつけ、

愛おしそうな瞳で私を見つめ、

私の手を握り、縋り付く。

好きで、好きで、大好きで。

人生の全て捧げてきた人のそんな姿に、感極まり……

閉じ込めてた想いが一気に溢れた。

叶わないと諦めていた想いが一気に弾ける。

ぽろっ、と涙が零れた。

こんなにも全身全霊で好きだと示されては、もう何も否定する気にはなれなかった。

言いたいことはたくさんあるのに、10年分の想いが洪水のように押し寄せてきて、何ひとつ声にならない。

ぼろぼろと、次から次から込み上げる涙を流してしゃくり上げ。

何度も、何度も、何度も、頷くと、

そっと、私の涙を拭ってくれたマルコ隊長が、幸せそうに微笑んだ。

その笑顔は、ずっと、ずっと、欲しくてたまらなかった、

あの日の、笑顔だった。