Novel
365日の光 - 10
「鎮痛剤だよい。少し眠くなるが、すぐに効くよい」
大きな掌に乗った小さな錠剤をつまんで口に運ぶと、マルコ隊長がすかさず水を飲ませてくれた。
なんだか本当にお医者さんごっこをしているようで、胸がドキドキしてしまう……
しかも、ただの水もマルコ隊長が飲ませてくれると随分と甘い気がする。錠剤を嚥下してもコクコク飲んでいると、あっという間に全部飲み切ってしまった。
喉も渇いてたんだと思う。
二日間気を失ってたワケだし。
吸い飲みが空になると、マルコ隊長がもう一度注いできてくれた。
お礼を言って口を付け、半分も飲むと喉は十分に潤った。
けれどもこんな機会は二度とない。
お腹はもうたぷんたぷんだけど離れるのが名残惜しくて、私は水を飲んでる振りをしながらこっそりマルコ隊長の横顔を盗み見る。
じっ、と手元を見ているマルコ隊長は少し俯き加減で。
伏せられたまつ毛は意外に長く、白衣から覗く喉仏と顎のラインのなんと色っぽいことだろう。
首筋に浮いた筋っぽい骨なんてたまらない。
今すぐしゃぶりつきたいほどにセクシーが過ぎる。
私は胸を高鳴らせたまま、目を細めてうっとりと彼に見入った。
「……名前? 眠いかい? 眠いなら寝ていいんだよい。事情は後日訊くから、今日はゆっくり休んでくれ」
ハッと我に返る。
ぼうっと見惚れてたら、眠いんだと勘違いされてしまった。
吸飲みが口から離され、テーブルにコトリと置かれる。
私は慌てて首を振る。
「いえ、眠気はありません。ちょっとぼんやりしただけなので話せます。私も色々聞きたいこともありますし」
実際、全然眠くなかった。
薬は本当に即効性があるようで、飲んだ瞬間から痛みは徐々に和らいでいるが、眠気は一向に訪れない。
さっきまで寝ていたんだから、当然と言えば当然だが。
それに、いつも周りに人がいるマルコ隊長を独り占めしてるのに、寝て終わらせるなんてできない。
勿体なさ過ぎる。
これが最初で最後の機会かもしれないのに。
パッチリと目を開けて、これでもかと眠くないアピールをすると、眼鏡のブリッジを押さえてマルコ隊長がクスッと笑う。
「じゃあ、あの路地で何があったのか教えてくれるかい?」
言いながらパイプ椅子をベッドの横に引き寄せて座る。
「はい。あっ、でもあの海賊はどうなったんです? 奴らは何も話さなかったんですか?」
「……ああ、奴らなら、話を聞く前に、ちょっとねい……」
てっきり奴らからある程度の事情を聞いてると思っていたが、違ったようだ。
何とも歯切れが悪くなる、マルコ隊長。
不思議に思い尋ねると、事情を訊く前に話せない状態にしたらしい。
そしてなぜか、その現場に居合わせたイゾウ隊長が更に追い討ちをかけ、再起不能にしたそうだ。
私が指一本どかせず、簡単に殺されそうになった奴らを一瞬でコテンパンに倒すなんてやっぱり二人ともすごい人達だなぁと、改めて尊敬する。
しかしなぜイゾウ隊長がいたんだろうか?
外せない用があると言っていたはずなのに……
「名前も聞きたいことはあると思うが、まずは事情を教えてくれるかい? 詳しいことは後で説明するよい」
「はい、わかりました」
軽く引き受けたものの、一瞬悩む。
経緯については、色々伏せておきたいことがあるのだ。
あの海賊が話してないなら、多少脚色しても大丈夫だろう。
安易にそう考えた私は、適当に話をでっち上げた。
「……実は、街であの海賊と肩がぶつかり因縁を付けられたんです。謝ったんですが許してくれなくて、つい手が出ちゃいまして……それで返り討ちに遭い、路地に引きずり込まれて、殺されそうになって……弱いくせに、バカですよね、私」
目を見て言えなかった。
やましくて。
だけど話しながらマルコ隊長をしっかり見ていたら、きっと彼の眉がピクッと動いたことに気付けたんだと思う。
「名前」
低い声で呼ばれ、思わず体が揺れた。
不穏な空気を感じる。
「その話は本当かい。おれの聞いた話と随分食い違うんだが」
スッ、と眼鏡を外しながらマルコ隊長が呟く。
そのまま眼鏡を折り畳んで白衣の右ポケットに仕舞う様子を見ながら、心臓が嫌な音を立てた。
「実は、ある人に聞いて大体の事情は把握してるんだよい。名前は子どもを助けるため海賊に立ちはだかり、その子どもの母親を助けるために奴らについて行った。おれはそう聞いたが、違うかい?」
ぎくっ、と身が強張る。
まるで、一部始終見ていたようにピタリと言い当てられ、息を呑んだ。
付近に仲間はいなかったのに、一体誰に……
混乱と動揺で、じとりと汗が滲む。
「名前に聞きたかったのは、奴らについて行った後、あの路地で何があったのか、ということだったんだが……なぜ、親子のことを隠して話すんだい」
口調は穏やかだが、目は鋭い。
質問というより、尋問に近い印象。
明らかに訝しんでいる。
なんで嘘付いたんだろう。
激しく後悔する。
バレないと思ったのが大間違いだった。
だけど、人助けしたのを秘密にしただけで、こんなに問い質されるものだろうか。
一瞬そう考えるが、すぐに理解した。
そうか……
あの海賊を庇ってると思われているんだ。
それは、裏切り行為に値する。
マルコ隊長は優しいが、仲間を裏切る行為だけは決して許さない人。
……バカだ、私。
ちょっと考えればわかることなのに、安易に嘘吐いて……
じっくりと見極めるように見つめるマルコ隊長の瞳を見返し、私は慎重に言葉を選んだ。
「……すみません。マルコ隊長の仰る通り、親子を助けるためにあの海賊と揉めました。嘘をついて申し訳ありませんでした」
まずは偽ったことをきちんと謝罪し、一呼吸置いて話を続けた。
「自分の力量では奴らに勝てないのはわかってて……捨て身で立ち向かおうとした時、奴らに提案されたんです。お前が宿に来て自分たちの相手をするなら親子を見逃してやるって。だから、条件を飲んで奴らについて行きました。もちろん隙を見て逃げるつもりで、あの路地で逃げましたが捕まり、殺されそうになって……」
思い出すと微かに指先が震えてきて、毛布をきゅっと握る。
「人を助ける力もないくせに自ら揉め事に首を突っ込んで……マルコ隊長に命を救って貰っておきながら、いい気になって人助けの為にしたことだなんてとても言えませんでした……それに、私が勝手をしたせいでマルコ隊長にまでこんな迷惑と面倒をかけてしまったことが自分自身許せなくて……罰して欲しくて親子を助けたことを隠しました。本当にすみませんでした」
マルコ隊長にはもう迷惑をかけないって、煩わさないって誓ったのに、また迷惑をかけた自分が許せなかった。
ありのままを打ち明けると、黙って聞いていたマルコ隊長は天井を見て息を吸い、ゆっくりと吐き出した。
「……そうだったのかい。実はあの海賊は長年追っていた奴らでねい。狡猾な奴らだから、てっきり名前が脅されたか、弱味を握られて話せないのかとつい深読みしちまったが……余計なことを聞いちまったな。問い質すような真似して、悪かったよい」
「いえ、嘘を吐いた私が全部悪いんです。軽率なことをしてすみませんでした」
誤解が解けて、ホッとする。
同時に胸の奥が温かくなった。
マルコ隊長は、私の裏切りを疑っていた訳ではなかった。
一年余りしか白ひげ海賊団に所属していない、どこの馬の骨とも知れない私を、マルコ隊長は信じてくれている。
それは、かけがえなく嬉しいことだった。
「事情を知れてよかったよい」
マルコ隊長が、表情を緩める。
「でもな、名前」
続いて重々しく名前を呼ばれた。
緊張しながら返事をすると、マルコ隊長は私の顔を見てくしゃりと顔を歪める。
「……頼むから、迷惑をかけただなんて言わないでくれ。おれは、名前を救えて心底良かったと思ってる。あのとき間に合わなかったら、おれは自分を一生許せなかったよい」
振り絞るような声で囁きながら、マルコ隊長が私の頬を撫でる。
大切なものを愛でるかのように……優しく、慈しむように撫でる温かい指先が、私の心を激しく揺さぶる。
胸がぎゅっ、となる。
…………ずるい。
…………ずるいよ、マルコ隊長。
そんな眼差しで、そんな声音で、そんな台詞言うなんて。
そんな風に優しく触れられると、私、また期待しちゃうじゃん。
頑張れば好きになって貰えるんじゃないかって、勘違いしちゃうじゃん。
やめてよ。
私のこと、好きじゃないくせに……
私のこと、何度も振ったくせに……
優しくするなんて、ひどいよ。
鼻の奥がツンとする。
涙が込みあがりそうになって、グッと顔を強張らせると、マルコ隊長が慌てて手を引っ込めて謝った。
傷が痛んだと思われたみたい。
だけど、傷なんて痛くなかった。
痛いのは胸。苦しいのは心だ。
優しくされればされるほど、辛くなるだけだ。
お願いだから、これ以上私を掻き乱さないで欲しい…………
「…………そういえば」
感傷に浸る気持ちを振り払うようにぽつりと呟くと、私の様子を伺っていたマルコ隊長が視線を合わす。
「マルコ隊長はどうしてあの路地にいらしたんですか? たまたま通りかかるにしては、入り組んでるし……というか、1番隊は船でお仕事のはずじゃ?」
仕事中のマルコ隊長が、なぜあの場にタイミングよく現れたのかは、ずっと疑問に思っていたことだった。
質問すると、マルコ隊長は笑って答えてくれる。
「オヤジの指示だよい。元々あの島へ上陸したのは、奴らが潜伏しているという情報を掴んだからなんだ。だから船を森に隠し、おれとイゾウで捜索してたんだよい」
「ああ、なるほど。だからイゾウ隊長もいらしたんですね。それで海賊の足取りを追って、あの路地へ……」
言いながら、妙に納得する。
『もう少し早く到着していれば』と、マルコ隊長がさっき自分を責めていた理由がわかったからだ。
謎が解け、一人スッキリする私にマルコ隊長は困ったように笑いながら「少し違うんだ」と訂正する。
「おれがあの場へ行けたのは、名前のことを教えてくれた婆さんがいたからだよい」
「へ? お婆さん?」
思わず、目を丸くする。
「ああ。『イカヤキ10』で椅子を貸した婆さんがいただろい? その人だよい」
「えっ? ええええぇ!?」
仰天して、大声を上げる。
ピキッと傷に響く。痛い。痛い。
でも、驚きが止まらない。
だってあのお婆さんまで登場するなんて予想外すぎるもん。ぶったまげながら喚いていると、マルコ隊長が椅子から勢いよく立ち上がる。
「名前! 興奮すると傷に障るよい。全部話すから、とにかく落ち着いてくれ」
そう言ってマルコ隊長は、ズリ落ちそうになった毛布を肩まで掛け直してくれる。
そして、私の知らないことを話してくれた。
