Novel

365日の光 - 09

夢を見た。

あの日、最後の告白をした私をマルコ隊長が受け入れてくれる夢。

そして、私を抱き寄せて唇に優しいキスをくれるの。

幸せな夢、だった。

もっともっと見ていたかった。

……でも、遠くに見える光の中から誰かが呼ぶんだ。

名前』『名前』って、何度も、何度も。

その声があまりに必死で……

だから、私は目を開けたの。

そしたら、ぼんやりとした白い世界にマルコ隊長がいて、なんだか心配そうな顔で私の頬を撫でているから。

なんだ、これも夢か……と思って、頬を撫でるマルコ隊長の手をぎゅって握って、大丈夫だよって笑ったんだ。

すると、夢の中のマルコ隊長が驚いたように目を瞠り、声を上げた。

「……名前!? 気がついたのかい!」

普段の落ち着き払った様子とは違う、マルコ隊長。

感情の揺らぎ幅の狭いマルコ隊長が見せる余裕のない表情は、なんとも新鮮だった。

しかも夢とはいえ、マルコ隊長はドクターモードの白衣姿で登場し、普段はかけない眼鏡まで装着している。

ああ、なんてカッコいいんだろう。

知的だ。まさに眼福の極みだ。

……ところで、私はいまベッドの上に寝ている。

マルコ隊長は、白衣姿で私を看病している。

ということは、だ。

つまり、これは……

この夢は、まさか…………

夢の、夢の、夢にまで見た

『お医者さんごっこ!』

では、ないだろうか……っ!!

ああ、私ってば、なんていい夢をチョイスをしたんだ!

R18だったらどうしよう、受けて立ちますよ! などと胸を躍らせながら、なかなか拝めない姿のマルコ隊長に目が釘付けだった。

「……名前?」

今まで我慢して見れなかった分、身じろぎもせずにじっと凝視する。

すると、マルコ隊長が不安げに私の頬に触れた。

慎重に、確かめるように撫でられて、ふと違和感を感じる。

なんだか、やけに感触がリアルなような……?

体温も感じるし、くすぐったい気もする。

そういえば、色彩も鮮やかだ。

さっきの夢は、何もかもモノクロ展開されていたが、いま私を心配そうに覗き込んでいるマルコ隊長の髪はビビッドな金色で、マルコ隊長自身も燦然と煌めいている。

「まだ、頭がはっきりしないかい?」

声まで鮮明。

ノイズ一つないマルコ隊長のハスキーがかった魅惑の低音ボイスに、なんだか嫌な予感をひしひしと感じる。

まさか、夢ではないんだろうか……

ざわつく気持ちのまま辺りを探ると、さっきまで薄い膜が張られていたようなぼやけた背景が、くっきりと映し出される。

清潔感のある白い壁に、白いカーテンで仕切られた小さな部屋。

私が寝ているベッドの脇にはパイプ椅子と、頭の横にサイドテーブルと点滴スタンドが置いてある。

一見すると、ただの病室。

だが、その真っ白なカーテンには病室には場違いなドクロが描かれている。

白ひげ海賊団の、十字に三日月のドクロマーク。

……ということは、ここはモビーの第2医務室か。

乗船時、案内されたから憶えている。

ちなみに第1医務室のカーテンには、卍のドクロマークが描かれているのだ。

どちらもナースさんに嫌われてるからお邪魔したことはないが、マルコ隊長のお仕事場ということで、内装だけはバッチリ脳内に記憶している。

さっきまでは場所の概念はなかったのに、こんなにもはっきり場所がわかるなんて、やはり現実なのか……?

というか、夢じゃないならどうして医務室嫌いの私が医務室にいるんだ?

いや、まて。

そんなことより、もっと重要なことがあるではないか。

これが夢ではないのなら

目の前の、この人は……!!

頭がクリアになると同時に

ザッ、と血の気が引いた。

やばい……っ!

本物だっ!

本物の、マルコ隊長だ……!!

2ヶ月間、避けに避けまくったマルコ隊長が至近距離にいる! という由々しき事態に、頭が大混乱する。

好きだ、違う。

大好きだ、違う!

いや感情は確かにそうだが、今は本音を垂れ流している場合ではないのだ!

でも頭の中は、パニック状態だ!!

だって私、夢だと血迷って、マルコ隊長の手をガッチリ握っちゃってるんだもんっ……!

「す、すみませんっ! 私、夢だと勘違いして、その……、すみませ……っいーッ、ぁ……!!」

マルコ隊長の手を放し、慌てふためいてベッドから起き上がろうとした瞬間、口から悲鳴が出る。

右のこめかみ辺りが、鋭く痛んだのだ。

名前っ! いきなり起き上がるのは無茶だ! 2日間も意識がなかったんだよい!」

起き上がるのを制され、ベッドに戻される。

言われた言葉に驚きながら、ズキンズキンと痛む箇所に軽く触れると、そこには、包帯がぐるぐると巻かれていた。

ああ、そうだ……

私、海賊に殺されそうになって……

「頭を強く打って重傷だったんだ。額から右側頭部かけて12針も縫合したんだよい」

塀に打ちつけられたんだっけ……?

なんだか記憶があやふやだ。

「骨や神経系に損傷はなかったが、裂傷が酷くて出血が止まらなくてよい。顔の縫合は避けたかったが、やむを得ず縫わせてもらった」

「処置はマルコ隊長がして下さったんですか?」

「ああ、おれが縫ったよい。男の傷は勲章だが、女は違うだろい。痕が残りにくいように縫合したが、残っちまったらすまねェよい……」

「痕なんて気にしません。治療ありがとうございました」

そもそも自業自得だし、傷痕なんてマルコ隊長が気にする必要ないのに……

むしろ本音を語るなら、マルコ隊長の縫合痕なら残ってくれた方が嬉しい。

「あの……ところで、意識がはっきりしてなかったので違ったら申し訳ないのですが、島で私を助けて下さったのは、マルコ隊長、ですよね?」

おぼろげな記憶だけど、青い炎が私を抱きとめてくれた気がするんだ。

記憶に相違ないか直接本人に確認すると、マルコ隊長は眼鏡の縁を指先で上げ、微かにうなずいた。

「やはりそうでしたか。危ないところをありがとうございます。お陰で助かりました」

寝たままの姿勢で軽く頭を下げると、マルコ隊長はまるで感謝なんかするな、とでも言うように眉間に深いシワを寄せて、目を伏せる。

「おれがもう少し早く到着していれば、名前はこんな傷を負わずにすんだかもしれないのに……すまねェよい」

やるせない声に、胸が苦しくなる。

自分の行動で招いた結果なのに、マルコ隊長にこんな顔をさせてしまうなんて……

マルコ隊長は、一見クールで冷たい印象を与えがちだが、実際は違う。

誰よりも面倒見がよくて、仲間思いで、仲間が傷付くのを極端に嫌う人。

ゆえに多忙を極める1番隊隊長でありながら、仲間の命を救う船医者も担っているのだ。

しかも、戦場ではいかなる攻撃を受けても再生する能力を駆使し、常に最前線で敵の砲弾や銃撃から仲間を守っている。

1年間、私はそんな彼を見てきた。

だからこそ、心配されて嬉しい反面、寂しさが滲む。

マルコ隊長のその感情は、皆に向けられるもので、私を特別に想ってのことではないから……

「いえ、そんな……私こそ、迷惑をかけて申し訳ありませんでした」

「いいんだよい。それより、傷の具合はどうだい? 麻酔はとっくに切れてるから相当痛むだろい。……ちょっと待っててくれ」

シャッとカーテンを開けると、マルコ隊長はそのままどこかへ行ってしまう。

傷は痛い。確かに痛い。触るのも躊躇うくらいに痛い。ドクドクと脈打ち、まるで心臓が頭に移動したような感じだ。

でも生きてるだけいい。

またこうしてマルコ隊長に会えたんだから。

再び命を救って貰ったことに感謝していると、ふいにガラガラと棚を開く音がして……ガチャガチャと、ガラスか何かを擦り合わさる音が聞こえてくる。

ここからは見えないが、マルコ隊長が何かしているんだろうか。水が流れる音もする。

それ以外に音はしないけど、他の人はいないのかな?

病人はいないにしてもナースさんはいるよね……医務室だし。

カーテンが開いてるから誰かに横切られると見えちゃいそうで、私は毛布を鼻まで被る。ただでさえナースさんと顔を合わせたくないのに、こんな弱っている所を見られるのは余計にいやだった。

誰も通らないことを祈りながら待っていると、コツコツと足音が近付いてくる。

一瞬ドキッとしたけど、マルコ隊長が戻ってきただけだった。

手には錠剤が詰まった青色の小瓶を持っている。

もう片手には、水の入った吸飲み。

吸い飲みは寝たままの姿勢でも飲める感じの水差しだ。

両手が塞がっているマルコ隊長は、カーテンを閉めずに部屋へ入ってくる。

早く閉めて欲しくてそっちばかり気にしていると、それに気付いたマルコ隊長がふと口元を緩めた。

「大丈夫だよい、他には誰もいない。ナースにもこの医務室には絶対に近付かないよう伝えてあるから安心していいよい」

サイドテーブルに吸飲みを置き、小瓶の蓋を空けるマルコ隊長。

静かな部屋に、キュポンと音が響く。

「……えと、……ご存知だったんですか、ナースさんとのこと」

マルコ隊長の口ぶりから察した。

嫌がらせされてたなんて知られたくなかった。

きっとイゾウ隊長が報告したんだろうな。

……まあ仕方ないか、報告は義務だし。

「……ああ、ナース達がすまなかったよい。もう大丈夫かい?」

「はい、イゾウ隊長が注意してくれたら、すっかり大人しくなってくれました」

実際は注意なんて可愛いものじゃなく、怒号に次ぐ怒声の嵐で、イゾウ隊長の剣幕に怯えて泣きじゃくるナースさんが不憫で、つい庇ってしまうほどだったけど。

でも本当にあれ以来絡まれなくなったから、もう大丈夫ですと晴れやかに伝えると、マルコ隊長は安心したように微笑んだ。

そして小瓶を傾け錠剤を一粒取りだすと、それを私に差し出した。