Novel
365日の光 - 07
午後。
船が島に着いた。
てっきり港に船を隠すと思っていたら、モビーは港とは真逆の森側に停泊した。
街の中心部までは少し遠回りになるが、天気もいいし、歩くにはもってこいだ。
早速ガイドブックを片手に陸へと降り立つ。そよそよと風にそよぐ木漏れ日が気持ちいい。澄んだ森の空気を胸いっぱいに吸い込むと、清々しい気分になっていく。
生い茂る草。緑の大地。鳥の鳴き声。
船上にはない柔らかな土の感触を靴底で味わいながら、目的地へ向かった。
仲間たちも続々と船から降りて森を進んで行く。我先にと進んで行くその姿に、みんなも島のグルメが楽しみなんだなと微笑ましく見ていたら、森を抜けて街へ入った途端、もれなくみんな路地裏の妖しい館に吸い込まれて行った。
確かに、サッチ隊長から聞いていた。
『海賊が上陸して最初に行く場所はどこだと思う? 娼館なんだぜ』と。
けれどもその様子を初めて目の当たりにしてしまった私は、男の人はみんなああいう場所に行くんだ、ということを妙に実感した。
煌びやかな館内には、さぞかし艶やかな美人がたくさんいることだろう。
館に消えた仲間たちは今からその人たちと──と、考えてしまい、プルプルと頭を振って打ち消す。
危ない、危ない。
あやうく生々しい想像をしてしまう所だった……
それにしても、1番隊が今日は仕事で良かった。マルコ隊長と町でばったり出くわす心配もなければ、妖しい館に消えるマルコ隊長を見ずにもすむ。
だけどマルコ隊長も男性だし、夜は館へ出向くんだろうな…………
……などと不毛なことを考えながらぼんやり足を動かしていると、段々と辺りが賑やかになってくる。
繁華街の表通りに入ると、通り沿いに目的のお店が見えた。
お店の前は、長蛇の列。
昼食後のちょうど小腹が空く時間帯だからか、店舗前に置かれたコルクボードには50分待ちの張り紙が貼られている。
思ったよりも待ち時間が長い。
先に他の買い物を済まそうかな、と考えるが、万一イカ焼きが売り切れてしまった場合、お小遣いを奮発してくれたイゾウ隊長に申し訳が立たない。
やっぱり、イカ焼きが先だな。
そう思った私は『イカヤキ10に行くなら持参!』とガイドブックに記載されていた折り畳みの椅子を広げ、最後尾に陣取った。
店の入り口まで距離はあるけれど、イカの焼ける香ばしい匂いや、ソースの甘酸っぱい匂いがここまで漂ってくる。
いい匂いだなー、食欲そそられるなー、と思いながらキョロキョロと通りを見渡す。
辺りにはクレープ屋さん、ワッフル屋さん、コーヒーショップにパスタ屋さん、焼き肉屋さんにカレー屋さんと、さすがは美食の街と形容されるだけあって、いろんなお店が所狭しと軒を連ねていた。
建物も煉瓦造りの可愛いお店や、モダンな外観の素敵なお店ばかりだし、道に敷き詰められた石畳もお洒落な街並みによく合っている。
往来する人たちもみな笑顔ばかりで。
活気のある街なんだ、となんだか嬉しくなりながら順番を待った。
そのまま徐々に椅子を動かしながら前へ進み、20分ほどを経過した頃だろうか。
何気に振り返ると、後ろにも長い行列ができていて、私のすぐ後ろには白髪が素敵な上品そうなお婆さんが並んでいた。
そのお婆さんは色白な方で、だから一瞬気付かなかったけど、よく見ると顔色がすぐれない気がして、もしかして具合が悪いんじゃ……と、心配になった私は思い切って声を掛けた。
するとお婆さんは、突然話しかけられて少し驚いた様子だったけど「久しぶりの外出だから少し疲れたみたいなの、でも大丈夫よ」と言って、バッグから花柄のハンカチを取り出して、額の汗を拭った。
この島は春島だが、緩やかな四季の流れもあり、今は夏の陽気に近く、暑い日差しが降り注いでいる。
てっきりこの暑さが原因で外出を控えているんだろうと思ったが、違った。
聞けば、お婆さんの旦那さんは病を患っており、お婆さんは付きっきりで看病しているそうだ。しかし、回復は見込めず、日に日に衰弱していく旦那さんに、元気な頃によく食べていたイカ焼きを一口でも食べさせてあげたくて買いに来たと言っていた。
その話を聞いた私は慌てて立ち上がり、椅子を差し出した。
お婆さんまで倒れると大変だから、どうぞ使ってください! と勧めるが、お婆さんは遠慮して座ろうとしなくて。
そこで私はイゾウ隊長がよく使う手、必殺『強引』を駆使し、なんとかお婆さんを椅子に座らすことが出来た。
これで、一安心だ。
ふう、と息をつき、額に浮いた汗を手の甲で拭うと、その拍子に胸のポケットからヒラリとマルコ隊長の手配書が落ちた。
宝物がっ! と慌てて石畳の上から拾い上げる。ついいつもの流れで手配書を広げ、かっこいいな、やっぱり好きだな、なんて眺めていると、お婆さんが興味深そうに尋ねてきた。
「それが手配書というものなのかしら? ごめんなさいね、私そういうのに疎くて見たことがないの。良ければ少し見せて頂けないかしら」
腰を落ち着けたことで顔色が良くなったお婆さんに頼まれ、マルコ隊長の手配書を快く渡す。
お婆さんは手配書に目を向け、そこに書かれている莫大な懸賞金額に驚き、さぞかし凶悪な人なのねぇと瞠目した。
確かに一般の人からすれば、海賊なんてみんな無法者で厄介者だろう。
でも、白ひげ海賊団は、違う。
マルコ隊長は、違う。
厚かましくも、そのことをお婆さんに理解して欲しい私は、マルコ隊長の優しさや、思慮深さ、責任感の強さや、人一倍仲間思いなこと、そりゃあ怒ると怖いが、まかり間違っても一般の人に乱暴するような人ではないということを、切々と訴えた。
「まるで、この方に恋してるみたいね」
私の熱弁さに、お婆さんは口元を手で隠し上品そうにくすっと笑う。
でもその言葉の中に皮肉や嘲りの色はなく、懸賞金のかかった悪人だと侮蔑するような先入観も一切感じられなかった。
ただ純粋にそう感じてくれている気がして…………だから、これまでずっと誰かにマルコ隊長のことを聞いて欲しくてもがいていた私は、お婆さんに今までの経緯を打ち明けた。
昔この手配書の人に命を助けて貰ったこと。そして、好きになったこと。
それから10年間ずっと好きで、好きで、彼を追いかけて同じ海賊団に入ったこと。
振られながら1年間告白したこと。
告白をやめると誓ったのに、本当は今でも叫び出したいほど大好きで、会えばまた告白してしまいそうな自分が怖くて本人を避けていること。
会いたくてたまらなくなったときは、この手配書を見て堪えていること、などなど。
お婆さんは頷きながら、私の話を静かに聞いてくれた。
やがて私が話し終えると、お婆さんは「なんだか私たち、似ているのね」と、笑って、今度は自分の過去の出来事を教えてくれた。
お婆さんいわく、自分達夫婦は元々年の離れた幼馴染で、お婆さんは物心付いた頃から今の旦那さんのことが好きだったそうだ。
年頃になって告白を試みたけれど、妹にしか思えないと断られ、以降もチャンスがある度告白したが振られ続け、お婆さんは旦那さんが他の女の子と付き合っていくのを一番近くでみていたらしい。
でも諦めず何度も告白を続けた結果、13年掛かったけれどやっと受け入れて貰い、付き合い結婚したそうだ。
子どもには恵まれなかったけれど、その分二人で色んな場所へ出掛け、夫婦の絆は一層深まり、今でも旦那さんのことは大好きだと、少し恥じらいながらも話してくれた。
だからあなたもまだ諦めてはだめよ、いつか報われる日が来るかも知れないから、とお婆さんはにっこりと微笑み励ましてくれる。
穏やかに笑うお婆さんの横顔が、話している途中で淋しげなものに変わった気がしたのは、その大好きな旦那さんがもうすぐ旅立ってしまうからだろうか。
それを思うと私は身につまされて……せめて二人が一日でも長く一緒に居られますように、と願わずにはいられなかった。
その後もお婆さんとの会話は弾み、名前や故郷の話をしていると、突然、後方から野太い怒声が聞こえてきた。
振り向くと、6歳くらいの男の子が地面に尻もちをついている。
その男の子の前には、仁王立ちする大柄な男が二人。
二人ともこの洒落た街の景観に似つかわしくないガラの悪い感じで、片方の男は腕にドクロの刺青が入っている。
もう一人の男は、首に同じ刺青が刻まれている。
どこかで見たような見ないような……はっきりとは分からないが、奴らが海賊であることは明らかだった。
「どこ見て歩いてんだ! このガキが!」
「ご、こめんなさいっ!」
腕に刺青のある男が男の子に怒鳴りつけ、男の子は尻もちをついたまま震えて謝っている。
おそらく、男の子が男にぶつかってしまったんだろう。しかし、どう見ても弾き飛ばされた男の子の方がダメージはありそうだ。
そこへ慌てて駆け寄る女性がいた。
男の子の母親だろうか。
男に頭を下げ、何度も謝っている。
綺麗な女性だから一瞬イヤな予感が過るが、案の定。
男は目の色を変え、女性に法外な治療費を請求し、払えないなら身体で払え、自分たちの宿まで来いと言い出した。
女性は必死に許して下さいと懇願するが、男は聞く耳を持たない。男が強引に女性の腕を掴み、連れて行こうとした、その時だった。
嫌がる母親を助けようとした男の子が、勇敢にも持っていた車のおもちゃを男に向かって投げつけたのだ。
おもちゃは、男の顔面に直撃した。
「痛っ! この!!」
男は鼻を押さえながら憤慨する。
そして男の子目掛け、その大きな拳を勢いよく振り上げた。
怯える男の子。
青ざめる母親。
その瞬間、考えるより先に体が動いていた。
へたり込む男の子と、男の子をかばうように抱きつく母親。
その二人の前に飛び出した私は、体勢を崩しながらも交差した腕で男の拳を受け止める。
重い……
拳を受けた腕がビリビリと痺れる。
こんな力で殴られれば男の子はひとたまりもないだろう。私も片手で受けていたら、骨が砕けていたかもしれない。
咄嗟とはいえ、型通りにガードができたのは、『イゾウ式地獄の訓練』の賜物だ。
しかしながら、私がこの男に勝てる見込みはゼロ。どんなに甘く見積もっても勝機はない。
助けになる人物は居ないか周囲を窺うが、付近に仲間の影はない。
いるのは地元民や観光客。
皆、巻き込まれたくないんだろう。
チラリと見るだけで誰も足を止めない。
「……なんだ、お前。邪魔する気か? 殺すぞ」
突然湧いて出た私に、苛ついた口調で威嚇する男。
出方を間違えると瞬殺されそうだが、生憎答えは持っていない。
なんとかこの親子を逃がしたいが、いま逃しても、確実にもう1人の男が捕えるだろう。
この場を切り抜ける策が何も浮かばない……
額の汗が輪郭を滑っていく。
もう一度周囲を探るが、やはり仲間はいなかった。普段は無駄に巡回している治安警備隊や、海軍の姿も見当たらない。
……やむを得ない。
捨て身で突っ込むか。
一か八かだが、上手くいけば親子を逃す時間くらいは稼げるかもしれない。
それに、争いを起こせば近くにいる仲間が駆け付けてくれるはずだ。
よし。
それに賭けよう。
というか、それしかない。
腹を決めて、腰の剣に手を伸ばす。
その時だった。
それまで傍観していた首に刺青のある男が、突然豪快に笑いだした。
