Novel

365日の光 - 06

朝、いつもの時間。

身支度を整えて部屋を出た私は、1年間マルコ隊長を待ち続けた扉へは行かず、船内にあるイゾウ隊長の部屋に向かう。

あの日、マルコ隊長を諦めた日。

飲みに行った先で、イゾウ隊長から申し出があったのだ。

『お前ぇ、朝の時間空いただろ。明日から書類仕事手伝えよ。代わりに化粧の仕方を教えてやる』

と、半ば強引に約束させられた私は、以来朝食までの時間をイゾウ隊長の部屋で過ごしているのだ。

「────はい、出来ました」

トントン、と書類の束をまとめて、イゾウ隊長に手渡す。

この部屋へ通い始めた頃は、私が不器用なばかりに、アイラインをひけば悪役レスラーになったり、マスカラをつければ下瞼にくっ付いてよれよれのパンダ目になったりで、朝食までの時間を全て化粧に費やしていたけれど…………

あれから2ヶ月が経ち、一人でも化粧をこなせるようになった私は自室で化粧を済ませ、書類を手伝うためにイゾウ隊長の部屋へ訪れるようになっていた。

「不備は、なさそうだねぇ……」

手渡した書類を、パラパラと捲りながらチェックするイゾウ隊長。

「お前ぇは呑み込むまで人一倍の時間は要するが、一旦覚えちまえば文句なしの出来栄えになるねぇ。化粧ももう完璧でおれが口出す箇所もねぇしな」

「ありがとうございます。それもこれも、イゾウ隊長のスパルタ指南の賜物です」

「誰がスパルタだ。お前ぇの化粧の失敗に、どれだけ根気よく付き合ってやったと思ってるんだ」

「それは感謝してますが、私は事実を述べたまでです」

淡々と答えると、イゾウ隊長は諦めたように息を吐いた。

「まあいい……それより、名前。昨日もクルーを振ったんだって?」

「…………あー、はい、タイプではなかったので、悪いと思いながらお断りさせて頂きました」

「タイプなんて関係ねぇだろ。まだマルコを引きずってるから断ったくせに」

「ちちち、ちがいます」

かろうじて否定するものの、ばっちし図星だ。

告白するのはやめたけれど、マルコ隊長への想いは消えてない。

何度葬り去ろうとしてもダメだった。

いい加減、前を向かなきゃならないとは思うけれど、燻った想いを抱えたまま同じ場所をぐるぐるぐるぐる回っているのだ。

しかしながら、以前イゾウ隊長にマルコ隊長を諦めると大見得切った手前、言いだせなくて隠していたのだが…………

「嘘つけよ。後生大事にマルコの手配書なんか持ち歩いてるくせに」

「な、なぜそれをっ!」

「おれに隠し事が出来ると本気で思ってるのか」

バレて、いた…………

────そう。

何を隠そうマルコ隊長に告白をやめた日から、今の今までずっと。

マルコ隊長に会うと、ついうっかり告白してしまいそうな自分が怖くて、彼を避けに避けまくった、この2ヶ月間。

このまま会わずにいればいつか恋心も泡のように消えるだろう、と思っていたのも束の間。

半月もせずマルコ隊長欠乏症の禁断症状が顕著に現れだした私は、こっそりニュース・クーに依頼して、ついに入手してしまいました……

『マルコ隊長の手配書』

ああ、カッコよすぎる。

この気怠げな表情がまたいいの!

最高! たまんない!

生身のマルコ隊長にはまだまだ会えないから、手配書の写真を眺めて禁断症状を抑えていたけれど、まさかそれを知られていたなんて。

イゾウ隊長……恐ろしい人!

「ハッ、まさか!……他の人にもバレてますか!? サッチ隊長とか、エース隊長とか」

「いや、連中は気付いちゃいねぇよ。一応お前ぇ手配書見るときは隠れて見てるようだしな。まあ、普通は気付かねぇから安心しな」

「あー、良かった」

ホッ、と胸を撫で下ろす。

マルコ隊長の手配書を眺めてるなんて、サッチ隊長にバレたら地獄しかない。

尾ひれをたんまりつけて、面白おかしくマルコ隊長に伝えられそうだ。

エース隊長も、名前が熱い視線で手配書見てたぜーとか、ポロっと本人に零しかねないから油断ならない。

エース隊長の場合、悪気がないから余計始末に負えないのだ。

口止めしても無駄だろうし。

でも気付かれていないようで、本当に助かった。

「この件は内密にして下さいね」

「さあ、どうだろねぇ」

「い、言いふらす気ですか!?」

「黙っててやる義理がどこにある? マルコのこと、おれに内緒にしてたくせに」

「そんなぁ……」

しょぼくれる私に、追い討ちをかけるイゾウ隊長。

「船の上は退屈だしな。たまにはおれも下のモンにネタを提供してやらなきゃ立つ背がなくてねぇ。今をときめく名前が、マルコに未練タラタラで手配書持ち歩いてるなんて知れば、奴らどんな反応示すだろうな」

「うぅ……で、でも、部下の個人的な所持品……いや、嗜好品? のことを言いふらすなんて、それは上司としていかがなものかと!」

ムキになって言い返すと、イゾウ隊長は「まあ、聞けよ」と、私の言葉を遮り、チェックを終えた書類をバサッ、と机に置いた。

「今日の午後、島に着くことは知ってるな?」

「あ、はい、ビショク島ですよね。名前の通り、町の食事処はどこも美味しいと、ガイドブックに書いてありました。中でも『タコヤキ8』の姉妹店『イカヤキ10』の、小麦粉と卵を使った生地にイカを絡めて押し焼いた『イカ焼き』とやらは絶品で、いつ行っても行列が出来ているとか」

ガイドブックで得た知識をひけらかす。

「へえ、詳しいじゃねぇか」

「調べたんですよ。折角のお休みだから、島へ降りてみようかと思いまして」

「なら話は早い。おれはそのイカ焼きに目がなくてねぇ。だが、生憎今日は外せねぇ用件が入ってて、自分では行けそうにねぇんだ。だから、代わりに行列に並んで買ってきてくれる『誰か』を探している所なんだが」

なるほど……

バラされたくなきゃ、買いに行けということか。

「分かりました。私が行きます」

「引き受けてくれるのか」

「はい。その代わり、さっきの件は内密にして下さいね」

「ああ、約束するよ」

口約が取れて、ホッとする。

元々私は『タコヤキ8』のタコ焼きが大好きで、あそこの秘伝ソースを使ったイカ焼きは、いつか必ず食そうと思っていたものだし、ついでに買ってくるだけで秘密が守れるならお安い御用だ。

二つ返事で引き受けると、イゾウ隊長は棚の引き出しからベリーを取り出して、私に渡してきた。

その額に、ぎょっとする。

「…………あの、多くないですか?」

「手間賃だよ。名前の分も買って、残りは洋服でも菓子でもお前の好きな文具でも好きに使えばいいさ」

「それにしたって、多過ぎですよ。イカ焼きは元々私も買いに行く予定でしたし、こんなにいただけません」

「気にするな。名前が書類を手伝ってくれてるお陰で、随分と楽ができてんだ。心付けだと思って受け取れよ」

笑ってお金を差し出すイゾウ隊長に、私は内心『まただ……』と、胸が詰まる。

イゾウ隊長は何だかんだと頼みごとをしたり、今みたいな意地悪を言って交換条件を付けてくるけれど、どれもこれも最終的に私の得になるようにしてくれているのだ。

今回の手配書の件も、そうだ。

端から誰にも言いふらすつもりなんてないのに、書類を手伝う私にお礼がしたくて、こんな回りくどいことをするんだろう。

ほんっっと、素直じゃないんだから。

でもさすがに、ひと月分のお小遣いより多い額を貰う訳にはいかない。固辞するが、男は一度出した金は絶対引っ込めねぇんだよ。と、よくわからない持論を展開し、強引に手渡してきたので、仕方なく……いや、ありがたく頂戴した。

そうこうしている間に、朝食の時間が近付いてくる。まだ少し早い気もするが、書類も終えたことだし、私はイゾウ隊長にお小遣いの礼を告げて部屋を出た。

名前、ちょっといいか」

食堂へ向かう道すがら。

船内と甲板を繋ぐ扉をくぐると、扉の前に立っていたクルーに声を掛けられる。

クルーが立つその場所は、2ヶ月前まで私がずっとマルコ隊長を待っていた場所で…………

近頃何の因果か、私に用がある人はこの場所で私を待っている。

要件は大抵……あれだ。

気は重いが、無視するわけにもいかず……返事を返すと、食堂寄りの甲板の隅へと連れていかれた。

「……おれ、名前が好きなんだ。良かったら、付き合ってくれねェか」

移動した先で、意を決したように顔を上げた彼に告げられる。

イゾウ隊長に化粧を教わってからというもの、度々こうして告白をされるようになった。

今まで人に好かれるなんてなかったから、気持ちはすっごく嬉しいのだけれど……

正直にいうと、告白されるのは、辛い。

断るのが、苦手だから。

最初こそ、人生初の告白に舞い上がり狂喜乱舞したものの、私は誰とも付き合えない。マルコ隊長への恋心を抱えながら、他の人の気持ちに応えるわけにはいかないから。

気持ちを捻じ曲げて、一度くらい誰かと付き合ってみようかとも考えたけれど、それこそ真剣に想いを伝えてくれた人に対して失礼だと思い、やめた。

だから断ることが前提になるけれど、好きな人に振られる悲しみは、私自身すごく理解できる。

身を持ってその苦痛を知っているからこそ、その辛さ、その苦しみを、自分が他人に与えてしまうと思うと、心の底から申し訳なくて胸が苛まれるのだ。

ただでさえ、私みたいな、なんの取り柄もないやつを好きになってくれたというのに……

「……ごめんなさい。私、いまは誰とも付き合う気はないんです。折角言って下さったのに、すみません」

頭を下げながら、いつもと同じ言葉でお断りすると、がっくりと肩を落とした彼が遠慮がちに聞いてきた。

「……やっぱり、まだマルコ隊長が好きだからか?」

「……いえ、マルコ隊長のことはもう吹っ切りました」

いままでも、同じ質問を幾度も受けた。

その都度、嘘を重ねてきた。

真摯に答えるべきなのは分かっているけれど、マルコ隊長の耳に入るのが怖くて、本当のことは言えなかった。

嘘をつくことを心苦しく思いながら、彼にも同じように否定してその場を去った。