Novel

365日の光 - 05

「────ほら、できたよ」

ヤバイ。

ちょっと寝てた。

メイク時間はほんの15分ほど。

なのにふわふわのハケの感触や、熱を持った目元に時折触れる、ひんやりとしたイゾウ隊長の指先の心地良さに浸るうち、いつの間にか意識が遠のいていたようだ。

あー、気持ちよかった。

人に化粧してもらうのって、こんなに気持ちのいいものなんだ。

あと1分遅かったら、本気で落ちてたな、なんてぼんやり考えながら目を開けようとした時だった。

────チュッ

と、頬に触れる柔らかい感触。

なに、いまの。

まさか……っ!?

慌てて目を開けると、目の前でニヤリと笑うイゾウ隊長。

「ククッ。なんて顔してんだよ」

「キ、キキキス!? なんて事するんですか! 訴えますよっ!」

「唇にはしてねぇんだから堅いこと言うなよ。可愛い女が目ぇ閉じてんだ。キスの一つでもするのが男ってもんだろ」

「なっ……!」

「ほら、鏡見てみな」

か、可愛いだなんて、人生で初めて言われた……でも勝手にキスをするのはダメでしょ! 頬っぺたとはいえ、ファーストキスなのに!

「おい、名前。おれに見惚れてないで、早く鏡を見な」

「見惚れてないです、睨んでるんです!」

「細かいやつだな、どっちも同じだろ」

「違います」

「いいから見なって」

じと目で睨んでいると、むにゅっと頬を押され、鏡に映る私と目があった。

「…………」

えーと……

どなたかしら?

この恐ろしく、可愛い子は。

あまりの変貌ぶりに、絶句する。

控えめに言っても、普段より5割り増しの可愛さだ。

これなら美女揃いのナースさんでも、私をブス呼ばわりできないだろう。

そう断言できるほど私の顔は、魅力的かつ、ふんわりかわいいフェミニン系女子にフルモデルチェンジされていた。

泣き腫らしたなんて信じられないくらい、ぱっちり二重の目。そして、薄桃色に上気した頬に、潤んだ瞳を強調してくれる涙袋。カサカサしてた唇なんて、これなら口紅のCMに出られるんじゃない? と、勘違いするほどツヤツヤピンクで、思わずキスしたくなるほどだ。

髪も整えられていて、跳ねていた寝癖もなくなっている。

千年前から使い古された台詞だが、気付けば口からこぼれていた。

「これが、私?」と。

いやー、さすがは、イゾウ隊長。

日頃の女装は伊達じゃなかった。

「いい出来栄えだろ?」

「はい! とっても素敵です!」

喜んで感想を述べると、イゾウ隊長は「そもそも、な」と鷹揚に腕組みして語り出した。

「お前ぇは普段の化粧が壊滅的なだけで、素材は悪かねぇんだよ。化粧っ気なかったくせに、なんだって突然あんなケバケバしい化粧を始めたんだ」

「あ、それはマルコ隊長の好みを聞いたからです。夜の街にいそうなバッチリ化粧のハデ目な女性だって」

「マルコに聞いたのか?」

「いえ、サッチ隊長です」

「……そりゃあお前ぇ、サッチに一杯食わされたな。厚化粧の女が好きなのはサッチの方だ。マルコの好みは清楚な女だよ」

「ぇ……」

…………うそでしょ。

皮剥き手伝えばマルコの好みを教えてやるって言うから、訓練後のヘロヘロの体でジャガイモ500個剥いたのに……

サッチ隊長、あんまりだよ…………

「じゃあそろそろ行くか。そのツラなら問題ないだろ」

「あの、ちなみに、何処へ行くんですか?」

立ち上がるイゾウ隊長に問い掛ける。

「ああ、酒場だよ酒場。折角島に着いてんだから、気晴らしに酒飲んでマルコなんざ忘れちまえばいいのさ」

「酒場、ですか……」

確かにお酒を力を借りるのも悪くない。でも、海賊が行く島の盛り場なんて限られている。

行った先で、マルコ隊長にばったり鉢合わせ……なんてのは、絶対に避けたいアクシデントだ。

酒場に渋っていると、イゾウ隊長が代案を出してくる。

「酒が嫌なら男娼でも買うか? 男に抱かれりゃ、失恋なんざ一発で忘れられるぜ」

だ、男娼……っ!?

男娼って、娼婦の男の人版だよね!?

むり! むりむりむり!

初体験を見知らぬ男娼に捧げるとか、普通にむりでしょ! あり得ないでしょ!

「むりです、むり! いくら振られて凹んでいても、見ず知らずの男性と一夜を過ごすなんてとんでもないです!」

首と手をブンブン横に振り、全力で拒否る。

マルコ隊長に抱いてもらおうと処女を捨てる覚悟をしたときでさえ、男娼の選択肢はなかったのに。

「初対面は嫌なのか?」

「当たり前ですよ! 知らない人とそんなこと出来るはずないじゃないですかっ!!」

「女ってのは面倒だねぇ」

「男がゆるいだけですよ!」

「だったらな、名前……」

言いながらイゾウ隊長が、グッと距離を詰める。

「おれが、慰めてやろうか」

雰囲気をガラリと変えたイゾウ隊長が、艶めいた笑みを浮かべる。

その不意打ちの笑みに、ドクンと鼓動が跳ね上がった。

な、に、その顔……っ!

男の色気たっぷりに迫られ、身体中の体温が急上昇する。頬が紅潮していくのを感じて反射的にうつむくと、イゾウ隊長の甘い声が頭を撫でた。

名前

心臓が、どくどくうるさい。

顔を見られない。

呼ばれても顔を上げないでいると、イゾウ隊長の長くてしなやかな指が頬に伸びてくる。

化粧をして貰った時も思ったけれど、イゾウ隊長の手は銃や刀を振るうとは思えないほど、柔らかく滑らかだ。

その指先が、輪郭をくすぐるようになぞり、顎を捕らえる。

くい、と持ち上げられ、間近に絡む視線。

熱っぽい瞳に射抜かれて、ごくりと息を呑んだ。

イゾウ隊長はそんな私に笑みを深めると、腰をぐいっと引き寄せた。体を密着させ、顔を近付てくる。

キスされる、と思った。

でも頭は真っ白。

体も動かない。

徐々に迫る端正な顔。

鼻先が触れ合う。

あ、くっつく……

そう思った矢先、

唇が重なる寸前でピタリと動きが止まった。

唇に、吐息がかかる。

紅い唇から吐き出される、熱く、甘い、吐息が。

頭の中は緊張と混乱に支配され、思考もままならない。呼吸も出来ない。

もはやどうしていいのか分からず、ぎゅっと目を閉じた。

その瞬間────

直接脳を震わすような囁きが、耳の中に吹き込まれた。

「抱かせろよ、名前。マルコなんざ忘れさせてやる」

低く掠れた声に、背筋が感電したかのようにビリビリと痺れた。

たとえば普段の私なら『鬼畜上司なんてまっぴらゴメンです』と、即答しているだろう。しかし、想像を絶するフェロモンを放つイゾウ隊長に、鼓動は加速するばかり。

上司としての敬意はあるが、男性としての好意は抱いていない。

断じて、1ミリも。

なのに、客の注文を受けた居酒屋店員よろしく『喜んで!』と、いとも容易く応じそうな自分に驚きを隠せない。

やばい────

この人の破壊力は半端じゃない。

まるで媚薬のように脳を蕩けさせる。

普段は垣間見ない、蠱惑的な表情と甘やかな低い声。

胸元からふわりと漂う、えも言われぬ良い香り。

初めて目にする、男の顔。

こんな凶悪な魅惑に抵抗できる女性は、果たしているのだろうか……

経験値のない私には到底無理だ。

すっかりイゾウ隊長に魅了されてしまった私は催眠術にでもかかったかのように、ふらりと彼にこの身をに委ねようとした。

その時だ。

パッ、と両手を放したイゾウ隊長が一歩下がり、いたずらが成功した少年のようにニッと笑った。

「クックッ、冗談だよ」

おどけた調子のイゾウ隊長に、一瞬ぽかんとする。が、すぐに事態を把握して頬がカァッ、と熱くなる。

「~~~~ッ!!」

からかわれたのだ!

まんまと騙された自分が心底恥ずかしい。

翻弄され、アホ面晒して処女を差し出そうとしたなんて……

いますぐ船から飛び降りて、真っ暗な海底に沈んでしまいたい。

ああ、くやしい…………

失恋で落ち込む部下をおちょくるなんて上司としてあり得ない。

乙女の純情を踏みにじるその所業、全くもって許し難し!

もう、怒った! 無視だ、無視!

こんなヤツ、スピリチュアルアタックだ!

絶対に口きかない! と固く決意し、プイッと顔を逸らした。

「ん? 怒ったのか?」

「…………」

「おい、名前

「…………」

「返事くらいしろよ」

「…………」

「おーい」

何度話し掛けられても完全にシャットアウトしていると、イゾウ隊長が強引に顎を掴んできた。

問答無用に視線を合わせられ、眉間に皺が寄る。

キッ、と睨みつけると、薄い唇の端を持ち上げてイゾウ隊長が不敵に笑う。

「拗ねるなよ。本気で抱いて欲しいなら、いつでも相手になるぜ」

「結構ですっ! もう騙されません!」

「つれないねえ。人がせっかく冗談で済ませてやってるのに。そんな態度してると本当に襲っちまうぞ」

「いいえ! イゾウ隊長とは無人島で2人っきりになっても、世界中の人類が2人だけになっても、絶対に絶対にぜーったいに致しません!」

「嫌われたもんだねえ」

「当たり前です!」

咄嗟に言い返したことを苦々しく思いながら、フン、とそっぽ向く。

しかしそんな態度を繰り出しながら、内心では妙な違和感を覚えていた。

イゾウ隊長の態度が『らしくない』のだ。

というか、変だ。

イゾウ隊長はこんな性質の悪い冗談を言う人でもなければ、軽口を叩くタイプでもない。

むしろ無愛想で、傲慢で、気安さなんて皆無。

部下にも畏怖され、古参隊員でさえおいそれと近付かない。

なのに、今日はやけに絡んでくる。

どこか腑に落ちないながらも強硬な姿勢を崩さずにいると、部下にずけずけと生意気な物言いされたにも拘らず、気を悪くした様子もなくイゾウ隊長は上機嫌に笑う。

「ちっとは元気がでたようじゃねぇか」

私の顎を放して呟いたその言葉に、ハッとする。

…………ひょっとして、

励まそうとしていた?

満足げに笑う様子に、疑問が確信に変わる。

そうか。

一連の流れは、私を元気付けるためだったのか。

外へ連れ出すのも、化粧をしてくれたのも、冗談めかしたのも。

全部全部、私の気分を変えさせるためだったのだ。

まったく……

分かりにくいったらないよ。

新手の嫌がらせかと思ったじゃん。

「なあ、名前。お前ぇが部屋に篭りたがる気持ちも分かるが、今日は黙っておれに付き合えよ。そんで、腹一杯飯食って、目一杯酒飲んで、全力で寝ろ。そしたら、明日は元気になってるからよ」

優しい言葉と口調に、胸が詰まる。

こういう不意打ちはズルいよ。

調子が狂っちゃう。

返事をしたいけど、声を出すと何かが溢れそうで黙りこくっていると、イゾウ隊長は続けて言った。

「それと、どうせお前ぇのことだから『船を降りよう』とかくだらねぇこと考えたかも知れねぇが、先に言っておく。『却下』だ。この大海賊時代、ガキ1人で生きていけるほど世の中は甘くねぇし、おれはお前ぇを手放すつもりは毛頭ねぇ。勝手に下船したら地の果てだろうが追って連れ戻す。……だから、早く乗り越えろ」

言葉は厳しいが、優しい笑みをたたえながら私の頭を撫でるイゾウ隊長。

その手の温かさに、目の奥がじんじんして……

なんで私の下船の許可をイゾウ隊長の一存で決めるの、とか、もうガキじゃない、とか、言い返したいことは山ほどあるのに、なんにも言えずに頷いた。

厳しくて、優しい、イゾウ隊長。

落ち込んだ時に1人じゃないって思えるのは、心が弱っている者にとって何よりの救いなのかもしれない。

ポッカリと胸に空いた大きな穴は当分塞がらないけれど、明日からまた頑張ろうって気持ちになるのは、イゾウ隊長のお陰なんだと思う。

口では絶対言えないけど…………

ありがとう、イゾウ隊長。