Novel
365日の光 - 04
「…………名前」
フワフワする意識の中で、誰かに呼ばれる声がする。
「名前…………」
マルコ隊長?
まさか。
そんなワケ無いか。
「ほら、起きろ!」
「んっ……」
「名前!」
何度も呼ばれて目が覚める。
ん、頭痛い。
超ガンガンするし目も開かない。
なんだこれ。
ぴったりとくっついた瞼を無理やり引っぺがす。目を開けると、薄暗い部屋の中で仁王立ちしたイゾウ隊長が腕組みしながら私を見下ろしていた。
…………えっ、なに、この状況?
なんでイゾウ隊長が部屋にいんの。
一瞬ぎょっとするが、寝ぼけた振りしてもう一度目を瞑ろうか悩んだ。
だって、なんか怖い顔してるし。
ていうか、私なにしてたんだっけ……
────あ、そうだ。
あのあとベッドに移って、泣くだけ泣いたら疲れて寝ちゃったんだっけ。
昨夜眠れてないから。
あー、なんだろう…………
この喪失感。
胸にぽっかり穴が空いたような感じ。
本当に失恋しちゃったんだな…………
切ない。
取りあえず上司の手前、いつまでも寝そべってる訳にもいかず、上体を起こして座る。
何の用だろう……
今日は隊の休日だからイゾウ隊長にも仕事がないはずだし、部下を奴隷や下僕と勘違いしているイゾウ隊長でも、まさか仕事は頼んでこないだろう。
それに、指一本動かすのも面倒がるイゾウ隊長が部屋に訪れるのは、本当に珍しいことで。
……ていうか、その顔で睨まれると超怖いんですけど。
なんで綺麗な顔ってこうも迫力があるんだろう。
悪いことしてなくても、つい、ごめんなさいって謝ってしまいそうになるよ。
「……誰がマルコだ? おれをあんな愚か者で、意気地なしのファンキーフルーツと一緒にするんじゃねぇよ」
「あー…………」
さっきの。
声に出てたのか。
……にしても、この人、サラッとマルコ隊長をディスったよ。意気地なしとかファンキーフルーツだとか、随分な言いようだけど喧嘩でもしたのかな。
「すみません。なんていうか、寝ぼけてたみたいです」
「ったく、朝飯から夕飯まで姿みせねぇし、島にも降りてねぇって言うから遥々様子を見にきてみりゃぁ、ぐーすか寝てるわ、誰かさんと間違えられるわ、散々だ」
「え? 夕飯って……」
いま何時……?
驚いて時計を見やると夕食の時刻はとっくに過ぎていた。というか夜だ。
私、何時間眠ったんだろう……
「ほら、飯持ってきてやったから食いな」
顎で示されたテーブルを見ると、トレーの上に乗った三角おむすび2つと、ほわんと湯気の立つ温かそうなスープが目に入る。この匂いはチキンスープだろうか。
縦のものを横にするのも人にやらせるイゾウ隊長が、部屋まで食事を運んでくれたんだと思うと純粋に嬉しかった。
朝から何も食べてないし、普通なら美味しそうなスープの匂いに、お腹がぐぅと鳴ってもおかしくない。
だけど、お腹はちっとも空いてない。
いや、むしろ食べる気がしなくて……
申し訳なく思いながらイゾウ隊長を見上げる。
「すみません。折角持ってきて頂いたのですが、ちょっと食欲がなくて……」
「どうした? 具合が悪ぃなら医務室に、って……名前、お前ぇ……泣いてたのか?」
「え?」
「まぶたが腫れて、目が真っ赤だ」
「……あー、」
きっと腫れてるとは思っていたけど……
部屋は小さなランプの明かりだけで薄暗いから平気だろうと油断していたが、感付かれてしまう。
イゾウ隊長って、どうしてこう気付かれたくないことを敏感に察知するんだろう……不思議だ。
まあ、いいや。
いちいち説明するのも面倒だし、ここは誤魔化してしまおう。
「ああ、これは、寝不足のせ……」
「嘘吐くんじゃないよ」
しかし、イゾウ隊長には通じなかった。
ぴしゃりと返され、黙る。
「何があった? またナース達か?」
「あ、いえ、ナースさんは関係ありません」
険しい表情で私を覗き込むイゾウ隊長に、慌てて否定する。
実は以前、マルコ隊長のことでナースさんたちに散々嫌がらせ受けていたのだ。
けれどある時、その現場に颯爽と現れたイゾウ隊長がナースさんたちを一喝してくれたお陰で、嫌がらせはなくなった。
だから、ナースさんは関係ない。
「なら、何があった? おれの訓練でも泣かねぇお前ぇが泣いてんだ。よっぽどのことなんだろ」
「いや、本当に大したことじゃ……」
「それはおれが決める」
「えーと、……でも……」
「それともなにか? 上司のおれにも言えねぇような、そんな話なのか」
うぅ……ダメだ。
この流れは白状するまで延々追及されるパターンのやつだ。
さすがに1年もイゾウ隊長の部下をしていれば悟る。
下手な嘘で切り抜けられるほどイゾウ隊長は甘くないし……
観念するしかないか、と項垂れる。
「…………フラれたんですよ」
「……はあ? マルコにか? 毎日振られてるくせに何を言ってんだ、今さら」
グサリ、と言葉のナイフが胸ヲ刺ス。
無理やり聞き出しといて何てひどい言葉を吐くんだろう、この人は。
しかも、失恋で弱り切った心のトドメにもなりうる暴言。
それを薄ら笑いながら言えるその神経。
…………ないわ。
もし立場が逆なら、床に正座させて小一時間説教しているところだぞ。
「…………だから、諦めるんですよ」
「え?」
一瞬、切れ長の瞳を見開くイゾウ隊長。
けれど、すぐに怪訝そうな顔付きに変わる。
「お前ぇ……まさか、変なモンでも食ったのか」
なんでそうなる、と突っ込みたくなるのを抑えて滔々と語る。
「ええと、毎日しつこくしてましたけど、元々1年で諦めるって決めてたんですよ。それで、今日が期限の1年なんです。だから、現実を受け入れるんです」
「…………名前」
ふいに名前を呼ばれ、ぼんやりと見つめていた膝に置いた手から視線を上げると、イゾウ隊長がまじまじと私の顔を覗き込む。そして、優雅に伸ばした手を、ぺたり、と私のおデコに当てた。
「…………熱は、ないな」
「ちょ、熱もないし変なモノも食べてないし、至って正常ですって!!」
おデコ乗せられた手を、サッと振り払う。
何て失礼な人だ。
さっきから人の決意を踏みにじりやがって。
綺麗な顔してるからって、隊長だからって、何でも許されると思ったら大間違いだぞこの女型。駆逐してやろうか!
「でもお前ぇ、仕事中でもマルコマルコとうるさかったくせに、本当に諦められるのか」
「……諦めますよ。決めてたことですし、これ以上マルコ隊長に迷惑は掛けられませんから」
「へぇ、迷惑だってわかってたのか」
「……意地悪ですね。最初からわかってましたよ。でもどうしても諦められなくて…1年間頑張るって決めたんです。それで無理なら諦めようって」
「そうかい。なら、サッサと出掛ける支度しな」
「へ?」
いや、え?
意味が、え?
なんで突然出かける準備…………?
訳がわからずぽかんとしていると、いきなり腕を掴まれベッドから引きずり出される。
「ほら、顔洗ってこい」
「え、ちょ、ちょ、っと、待ってください」
「なんだ?」
「え、と、どこへ行くんですか? 今日は部屋に居たいのですが……」
「却下だ」
「えぇっ!?」
なに、この横暴さ!?
オニですか。悪魔ですか。冷血漢ですか。
美しさはこんな理不尽さえも許してしまうのか?
「ほら、顔洗ってきな。おれが出掛けるといったら出掛けるんだ。異論は認めん」
────ああ……
信じられない…………
今日はマルコ隊長との思い出に浸りながら、失恋の痛手をゆっくりじっくり癒すはずだった。
なのに、早く洗面所へ行けと言わんばかりの高圧的な態度を繰り出すイゾウ隊長は、一度言いだしたら決して折れない強情なお方で。
どこへ連れて行かれるやも知れぬまま、私は問答無用で連行されるのだろう。
それが、16番隊に配属された者の運命。
誠に遺憾ながら、部屋に籠るのは断念する他ないだろう。
しかし黙って従うのはさすがに癪で。
ありったけの恨みと念を込めた目で睨んだら、イゾウ隊長は何故だか、ぶはっと噴き出した。
「そんな浮腫んだ顔で睨むなよ。三流のホラー映画みたいで笑っちまうだろ」
…………いやいや。
あなた、今めっちゃ笑いましたやん。
ぶはって。嫁入り前の乙女の顔見てぶはって。
でも、そうか……
あれだけ泣いたもん、浮腫むのは当然か。
「顔が腫れてるなら、余計に部屋から出たくないのですが……」
「ごちゃごちゃ言ってねぇで、さっさと顔洗ってきな。少しは見られるようになるだろ」
「…………はい」
私の気持ちはどうでもいいんですね、そうですね。
やっぱりイゾウ隊長に逆らうのは時間の無駄だった。
従う方が遥かに楽だと悟った私は、げんなりしながらも洗面所に向かう。
そして、鏡に映った自分の姿に驚愕した。
なんて、ひどい、顔……!
悲鳴を上げなかっただけでも褒めて欲しい。
瞼はありえないほどパンパンに腫れて、目はまるで数字の3のようだし、顔もぼ~んと浮いて、鼻の頭は皮が擦り剥けて赤くなっている。
唇もカサカサで、タラコでも乗っかってるみたいに腫れぼったい。
ははは。
泣き腫らすとこんな顔になるんだ。
初めて知ったよ。
イゾウ隊長は、こんなにひどい顔の私をどこへ連れて行く気なのか。
今日は誰にも会いたくないのに。
イゾウ隊長の血液型に小指の先ほどの興味も無いけれど、絶対に自己中でわがままなF型に決まっている。間違いない。
「おい、名前!」
「は、ひ」
投げやりな気持ちでパシャパシャ洗顔していると、イゾウ隊長が洗面所にひょっこり顔を出した。
まさか心の内まで読まれていないだろうが、後ろめたさに声が裏返る。
「遅い。顔くらいパパッと洗え……って、顔、洗って、それか。見苦しいな」
命令通り素直に洗ったのに、『見苦しい』呼ばわりされる、この理不尽さ。
マジで16番隊やめたろか。
しかし、顔を拭いて鏡を見て思った。
……見苦しい、と。
腫れは少し引いたけど、まだまだひどいブスだ。
さすがにこの顔を人前に晒す勇気はない。
どうすんだろ、これ。
腫れが収まるまでイゾウ隊長が待ってくれるとは思えないし、かといって化粧で隠せるほどの技術はないし……
そう思いながら洗面所を出ると、出掛けるはずなのに部屋の明かりが煌々と灯され、イゾウ隊長が鏡台の前に立っていた。
「化粧道具出しな。おれが誤魔化してやる」
おお、そうだ!
化粧と言えば、イゾウ隊長!
毎日女形メイクをしているイゾウ隊長なら、隠すのはお手の物。
言われた通り鏡台の引き出しから化粧道具一式を取り出すと、イゾウ隊長は私を椅子に座らせて化粧を始めた。
「目ぇ、閉じてな」
「はい」
慣れた手つきで化粧水をコットンに吸わせるイゾウ隊長の言葉に、素直に頷く。そして思う。
ああ、良かった、と。
顔が近くて、正直鼓動がうるさかったんだ。
この人、顔だけは無駄にいいから。
化粧の為とはいえ、自分よりも数段綺麗な顔に至近距離で見つめられると、どうにも落ち着かない。
本当に男性なのか疑わしいほど顔の造形は完璧だし、洗練された所作はこの上なく上品で色香まで漂っている。
しかも、着物に焚き染められている香の良い香りったら…………
こんな風に極上の容姿で大人の魅力満載だったら、マルコ隊長も私を見てくれたのかな……なんて、今更考えても仕方ないけどさ。
じわりと浮かびそうになる涙を堪えて、私はそっと目を閉じた。
