Novel

365日の光 - 03

今日は快晴。

空は青く澄み渡り、一点の曇りもない穏やかな陽気。

頬を撫でる海風も心地よくて清々しい。

だから、もしかして? と淡い期待を抱いたけれど…………

「お前ェは大事な家族だよい」

……甘かった。

そりゃ、そうだよね。

気候が穏やかなのは島が近いからで、マルコ隊長がOKしてくれる根拠はどこにも無いわけだ。

364日目。

1日。

泣いても笑っても

明日で終わり。

普段通り私を振ったあと、スタスタと食堂へ向かうマルコ隊長。

この後ろ姿を見るのも、明日で見納めか。

じっくりと網膜に焼き付けておかなくちゃ。

長い手足に、姿勢のよい凛とした背中。

一見硬そうに見える金色の髪は歩く度にふわふわ柔らかく揺れるのが不思議で、いつか触らせて貰えたらいいな、なんて密かに思ってる。

そして、長身でスタイルの良いマルコ隊長にとってもよく似合う紫色のシャツと、何といってもクロップドパンツから伸びる足は最高の一言だ。

強烈な蹴りを繰り出すとは到底思えないほど美しい曲線美を描き、洒落た足飾りと編み上げのグラディエーターが映えて、もはや芸術品としか言えない。

……もう何度、この後ろ姿を眺めてきただろう。

雨の日も、風の日も、嵐の日も、雪の日も。毎朝マルコ隊長を待ち続け、明日でちょうど1年。

幼い私の心に住み始めた、初恋の人。

10年という歳月を経ても、想いはちっとも褪せることなく……ううん、むしろ、成長と共にどんどん大きく膨らんだ。

私に生きる道を示してくれたマルコ隊長。

私の心を鷲掴んで離さなかったマルコ隊長。

モビーに乗せて貰い、マルコ隊長に再開できた時は嬉しくて、幸せで、まるで夢のようだった。

なのに、どうして。

今はこんなにも、苦しくて寂しいんだろう。

ねぇ、マルコ隊長。

こっち向いてよ……

一度くらい振り返って私を見てよ。

そう願ったけれど、マルコ隊長が振り返ることはなかった。

────翌日。

朝の支度を終えた私は、いつもより早く甲板に出た。

昨日から島に上陸しているためか、うっすらと朝焼けのさす甲板は普段よりもひと気がなく、静かな時が流れている。

撫でるような潮風を頬に受けながら、空と海が溶けた曖昧な水平線をぼんやり眺めていると、自然と心が凪いでいく。

昨夜は緊張で寝付けず、この場所から夜の海を見入っていた。停泊している港の灯りが消え、コールタールのような真っ暗な海を眺めていても眠気は一向に訪れなくて…………

時折波打つ海の声に耳を傾けながら夜空を見上げたら、星のない空に細い三日月だけが寂しそうに浮かんでいた。

結局そのまま一睡もせず朝を迎え、体調は良くないし、出来れば最後の告白は明日に持ち越したい。

でもそれは逃げだ、と弱腰になる自分を懸命に鼓舞していると、目の前の重い扉が開いた。

マルコ隊長だ。

姿を確認できてホッとする。

島に降りてるかもしれないと心配していたけれど、船にいてくれて良かった。

しかし、いざとなると手が震え、緊張で軽い吐き気まで込み上がる。

マルコ隊長に駆け寄ろうとするけれど、その一歩が踏み出せない。

1年で決着を付けると決めたのは誰でもない自分自身なのに、声すら出ない。

そんな往生際の悪さに、泣きたくなった。

「おはようさん、名前。いつもながら早いねい」

うつむいたまま扉の前で突っ立っていると、まさかのマルコ隊長の方から声をかけて貰えた。

びっくりしてバッと顔を上げると、マルコ隊長がふっと優しげに笑ってくれる。

ああ、やっぱり好きだ。

顔を見るたび、痛感する。

この人のそばにいれるなら、死んでもいい。

強く実感すると同時に縫い止められていた足が嘘のように動き、マルコ隊長の傍に駆け寄った。

「お、はようございます。マルコ隊長……」

何とか、声は出た。

が、その先が続かない。

ダメだ。

まだ緊張している。

いつもならマルコ隊長を見るだけで簡単に出てくる単語が、一向に喉から先に出てこない。

かといってここで引き下がる訳にはいかず、ひとまずマルコ隊長の隣に並んで歩いてみる。

いつもならエース隊長や他のクルーがいて一緒に歩くのは憚られるけど、今日は誰もいない。みんな島に降りているんだろう。

って…………

────あれ?

普段はその長い足でスタスタと歩くマルコ隊長の歩みが、少し遅いような……?

足元に目線を落とすと、間違いない。

私の歩幅に合わせてくれている。

その気遣いに涙が出そうになった。

じわりと広がる想いを胸に、私は、ぎゅっ、と拳を握る。

そうして覚悟を決め、マルコ隊長に想いを告げた。

「マルコ隊長、好きです」

「ああ」

「大好きです」

「ありがとよい」

「……マルコ隊長」

「うん?」

「…………私は、ダメですか? 私では、マルコ隊長の彼女になれませんか?」

こんな風に踏み込むのは初めてで……

マルコ隊長の本音を聞くのが怖くて、いつも逃げていた。

でも、今日で最後。

ありったけの想いを全部ぶつけると、マルコ隊長はいつものように鼻先であしらうことはせず、歩を止めて体ごと私に向き直ってくれた。

視線が絡む。

マルコ隊長と私の視線が。

マルコ隊長の瞳をこんなにもじっくりと見つめるのは、あの時ぶりだ。

10年前と変わらない、青く澄んだマルコ隊長の瞳。

吸い込まれそうなほど綺麗で、素敵で、温かい、大好きな大好きな瞳。

その瞳を見つめながら、私はじっと返答を待つ。マルコ隊長は私を真っ直ぐに見返したまま、なかなか返答しない。

即答で断られると思ってたから、少しだけ期待してしまった。

だけど。

「……名前とは、付き合えねェよい」

──────ザァッ、と風が吹く。

二人を別つように吹く海風は髪を揺らし、10年間想い続けた恋の終わりを静かに告げていった。

…………そう、だよね。

昨日フラれたのに今日叶うなんてドラマティックな展開、あるはずないよね。

とっくに理解していた。

なのに実際言われると、想像よりも遥かにキツかった。

心臓が痛くて、苦しくて、張り裂けそうで、思わずぎゅっと胸を握り締める。

絶望的な気持ちに、視界がじわりと滲む。

慌ててうつむき、熱くなる瞼を必死で抑えた。

ダメ。

ダメだ。

マルコ隊長の前では絶対泣いちゃダメ。

震える唇をきゅっと引き結び、マルコ隊長を仰ぎ見る。

「あーあ。やっぱりダメでしたね、ざんねん」

にこっ、と微笑む。

365日。

今日で終わり。

毎日毎日、マルコ隊長もよく付き合ってくれたものだと思う。

きっと『迷惑だ』、とか『邪魔だ』、とか言われて邪険にされてたら、もっと早くに諦めていた。

でも、マルコ隊長、優しいから。

そんな言葉や態度は一切出さないから。

だから……

私、甘えていたんだ。

いつか気持ちが通じる日が来るかも知れないって、思い上がってた。

バカみたい。

現実は、いつだってむごいのに。

「これまで時間を取らせてすみませんでした。……もう迷惑は掛けません。諦めます。長い間、ありがとうございました」

ペコッ、と頭を下げる。

顔が見えないよう深く深くお辞儀して、そのままくるっと背を向けて、ダッシュした。

走り出してすぐマルコ隊長に呼び止められた気がした。

でも振り向かずに走った。

止まれなかった。

早く立ち去りたかった。

途中、船に残っていた何人かのクルーとすれ違ったけど、俯いたまま走り去った。

長い廊下をひた走り、まっすぐ自分の部屋に向かう。

乗船当初、男だらけの大部屋には入れられないと与えて貰った個室。

見習いだからと固辞しても『船長であるオヤジの命令は絶対だよい』と、マルコ隊長に言われてありがたく受け取った個室を、今日ほど嬉しく思えた日はないだろう。

部屋に辿り着くと勢い任せに扉を開け放ち、中に滑り込む。

立ってる気力もなくて、扉を背中で閉めると同時にずるずるとその場に崩れ落ちる。

「…っうぅ……くっ、……ぅぅっ……」

限界だった。

両手で顔を覆い、しゃくり上げる。

とめどなく流れる雫が指の隙間を伝い、ぽたぽたと降り始めの雨のように木目を滲ませた。

船に乗って1年。

必死に頑張ってきた。

海賊になった動機は不純だったけど、家族のいない私を家族として迎えてくれたオヤジにせめてもの恩返しがしたくて、隊務は何があっても手を抜かなかった。

洗濯や掃除なんかの雑用も自ら進んでやり、過酷で死ぬほど辛い訓練だって血反吐を吐きながら男と一緒のメニューをこなしてきた。

女を磨くことにも、自分なりに努力した。

『マルコのことは知り尽くしてる』と豪語するサッチ隊長からマルコ隊長の好みを聞き出して、少しでも理想に近付けるように髪を伸ばしたり、やせっぽっちで貧相な胸のバストアップに励んだり……苦手な化粧にも奮闘した。

何の技術も才能もない不器用な私が、男たちの世界で海賊をするのは決して楽な道のりじゃなかった。

女だからと侮られ、馬鹿にされ、辛いことも苦しいこともたくさんあった。

悔しくて眠れない夜もあった。

痛む体を丸めて一晩中耐える日もあった。

そんな日を幾日も過ごしてきた。

でも……それも、これも、マルコ隊長がいたから頑張れた。

いつかマルコ隊長に認めて貰えるんじゃないか、って……

そう、思っていた…………から……

だから、歯を食いしばって今日まで頑張れた。

苦労の連続だった日を乗り越えられた。

────なのに、

片思いって、残酷だね……

どれだけ努力しても、どれだけ頑張っても、肝心の相手に届かなきゃ、全部無意味だもん。

悔しい。

悔しい。

悔しい……

でも、これ以上迷惑は掛けられない。

これ以上負担にはなりたくない。

だから、諦める。

死ぬほど辛いけど諦める。

……だけど、この船に乗船した理由はなくした私はこの先どうすればいいんだろう。

そもそも私がこの船にいる意味はあるんだろうか。

はっきり言って、私は完全にみんなの足手まといだ。

そんな出来損ないの私が、これ以上この船にしがみついても邪魔にしかならない。

……丁度いい機会なのかな。

明日、イゾウ隊長に下船を願い出てみよう。

1人で生きていけるかなんてわからないけど、ここでみんなの邪魔をするより遥かにいい。それに、マルコ隊長のそばにいると私、きっとまた追いかけてしまう。

だからその方がいいよね……

さようなら、マルコ隊長。

さようなら、私の初恋。