Novel

365日の光 - 02

私が初めてマルコ隊長に出会ったのは9歳のときだった。

当時、両親を早くに亡くした私は新世界に住む叔父の家でお世話になっていた。

その町は新世界の割に暖かく穏やかな気候で住みやすい地域ではあったが、お世辞にも治安が良いとは言い難く……

町の中心部に船の資材を取り扱う大きな卸売市場があり、その資材を狙う海賊にいつも脅かされていたのだ。

町を破壊し、女性を襲い、略奪行為を繰り返す海賊。海軍は一向に取り締まってくれず、町の人は黙って見る他なかった。

そんな日々が続いていた、ある日。

いつものように海賊が市場から資材を奪い船に積んでいると、忽然と別の海賊が港に現れ、資材を奪う海賊に向かって攻撃を仕掛けたのだ。

いきなり攻撃された海賊もすぐさま応戦し、突然始まった海賊同士の派手な争いに港は騒然となった。

飛び交う怒号に、斬撃音。

町の人々はみな慌てて町外れにある、丘の上の教会へ避難した。

鎮静を願う人々の願いとは裏腹に、争いは熾烈さを増していく。

海岸沿いで繰り広げられていた激闘は次第に市街地へと伸び、町の数箇所から一斉に火の手が上がった。

町は、瞬く間に紅蓮の炎に包まれる。

その様子を礼拝堂の窓から見ていた私は、咄嗟に教会を飛び出した。

名前! どこへいくんだ!』

『勝手なことをしないで!』

『町は火の海だ!』

『海賊も大勢いるんだぞ!』

誰の制止も聞かず、飛び出して向かったのは、両親が亡くなって以来身を置かせて貰っている場所。

『……良かった。まだ燃えてない』

海賊が乱闘している表通りを避け、火の少ない路地を進んでたどり着いた、少し古い洋館。叔父の家だ。

急いで家の中に入り、階段を一気に駆け上がる。息を切らして3階まで上った先にあるのは小さな屋根裏部屋。置かれている家具は粗末なベッドと古びたタンスだけの、一見物置のようなここが私の部屋だった。

私はベッドに近付き、枕元のぬいぐるみを持ち上げる。

澄んだ青い瞳をした、テディベア。

私の宝物だ。

幼い頃に亡くなった両親が遺してくれた、たった一つの思い出。

唯一の宝物。

辛いときや悲しいとき、いつもこのテディベアに両親を重ねて見ていた。

それが燃えてしまうと思うと、居ても立ってもいられなかったのだ。

『……早く、戻らなきゃ』

目的のテディベアを胸に抱いてひと安心した私が外へ出ると、入る前とは段違いに火の勢いが増していた。

無残に焼け落ちる家屋の外壁や屋根。

辺りを飲み込む炎が真っ黒な煙をもうもうと吐き出し、火の粉を無数に散らしていた。

熱気と煙で喉がひりひりと痛む。

呼吸も苦しい。

早く、ここを離れないと。

捲り上げた袖を戻し、口元を覆う。

叔父の娘のお古は大きすぎて困っていたが、サイズ違いの洋服もこんな時は役に立つんだとありがたく思いながら来た道を戻る。

火の勢いと煙は相変わらずだが、海賊には出くわさず順調に進めた。

しかしその途中、焼け落ちた瓦礫が行く手を阻んでいる。

表通りは海賊たちがいまなお火花を散らし、通ることは不可能だ。

『どうしよう……』

他に道はないだろうか。

立ち止まり、知恵を絞っていた時だった。

ドン、と背後から大きな爆発音が鳴る。

大気が震えるほどの凄まじい轟音だった。なに? と振り向く間もなく、私の体は砲台から発射された弾丸のように勢いよく前方へ弾き飛ばされる。

数メートル先にあったはずの瓦礫の山々が、一瞬にして眼前まで迫る。

瓦礫を覆う炎は爆風で消し飛んでいた。

しかしそんなことよりも、この勢いでぶつかれば、間違いなく命はない。

ああ…………

だめだ。

私、死ぬんだ。

明確な死の予感に、私は胸の中のテディベアを、ぎゅっと両手で抱きしめた。

この子と一緒なら、死ぬのは怖くない。

両親の元へ行くだけだ。

大丈夫、大丈夫……

自分にそう言い聞かせ、私は目を閉じた。

瞬間、ドンッ、と激しい衝撃が体に走る。

思ったよりも痛みは少なかった。

いや、むしろ柔らかく包まれるような……なんとも不思議な感覚に、安心するとともに落ち着いた。

死ぬって漠然と怖かったけれど、案外優しくて穏やかなものなんだ……

これなら悪くはないな、と思いかけた、矢先……

『────っと、危ねェ!……大丈夫かい?』

ふいに頭上から降ってきた、声。

その声に弾かれるように目を開くと、

ハッ、とするほど鮮やかな青い炎を纏った男の人がいた。

私はその人の腕の中にふわりと包まれていて、現実離れした光景と綺麗すぎる青い炎に、一瞬天使がお迎えに来たんだと思った。本気で。

………けれど、その人が羽織っていたシャツの隙間から見える素肌を目にした瞬間、ヒッと喉がひきつる。

胸からお腹にかけて、大きな大きな刺青が彫られていたから。

『怪我はないかい?』

『ぁ、…………』

助けて貰ったということは十分理解出来ていた。だけど、この人も海賊なんだと思うと恐ろしくて声がでなかった。

ましてや胸の紋様は、小娘の私でも知る、世界最強の名を持つ海賊団のもの。

『ああ、すまねェな。怖がらせちまったかい。……まぁ町でこんな戦いをやってりゃ仕方ねェか。じきに終わるからもう少しだけ我慢してくれよい。これさえ終われば略奪する海賊はもういなくなるからよい」

見た目と恐ろしい刺青からは想像もつかない可愛い語尾を付けるその人は、『立てるかい?』と、気遣いながら慎重に私を降ろしてくれた。

ゆっくりと、地に足がつく。

私、生きてる…………

そう実感した途端、気が緩んだ。

体の力が抜け、その拍子に胸元のテディベアを落っことしてしまった。あっ、と思った瞬間、転がるテディベアの左耳に燻る炎が燃え移る。

『……っ!』

とっさに拾おうとするが、火に怯えて一瞬手を引っ込めてしまう。すると、その人が素早く拾いあげてくれる。

そして、燃えているテディベアに焦って泣き出しそうな私の前で、その人は少しの躊躇いも見せず、テディベアの炎を包むように自分の手のひらを押し当てた。

じゅっ、と皮膚の焼ける音に、私は目を見開く。

慌てて彼の手を退けようと動いた刹那、先ほどの、あの目の醒めるような幻想的な青い炎が彼の手を覆い、焼けた皮膚を一瞬で元通りに治してしまった。

まるで、魔法のようだった。

『わりィ……耳が焼けちまったよい』

私の不注意で落として燃やしたのに、その人は『大事なモノなんだろい』と、すまなさそうに謝まり、片耳をなくしたテディベアを私の胸に戻してくれる。

無事に戻ってきたテディベアに喜んで頬擦りしていると、突然彼の手が私の頬に伸びてきて、思わずびくっ、と身が竦む。

しかし、怯える私にその人は気を悪くする風でもなく、『煤が付いてるよい』と言って、親指で優しく拭ってくれた。

『……あ、りが、とう、ございま、す』

正直、まだ怖かった。

だけど、私と私の宝物を救ってくれたその人にお礼が言いたくて……

怯えながらも感謝の言葉を口にすると、その人はふっと微笑んだ。

テディベアとおんなじ色した、綺麗な青い瞳を細めて。

瞬間、ポッと光が差した。

昏い水の底に沈んでいた私の心に、明るく温かな光が。

……ああ、これだ…………

私が欲しかったものは、これなんだ……

テディベアとおんなじ瞳。

なのに、テディベアにはない優しい光と温もりが溢れている。

私が求めても得られなかったもの。

それを青い瞳の奥に見つけたとき、私の心は完全にその人に奪われた。

そのまま想いを告げようと思った。

でも踏みとどまったのは、いま言っても相手にされないのがわかっていたから。

優しい人だというのは確信したが、この人は遥か年上の大人で、しかも海賊。普通に考えて、たかが9歳の子どもの告白なんて戯言として軽くあしらわれるのがオチだ。

だから、誓った。

大人になって会いに行こう、と。

幸い体力には自信があった。

彼の所属する海賊団もわかっている。

将来は絶対彼のいる海賊団に入るんだと心に誓い、持ち前の根性と精神力でがむしゃらに突き進んだ。

彼に、再び会うことに思いを馳せて……

それから、10年。

血の滲む努力が実り、見習いとして『白ひげ海賊団』に迎え入れられた私は、逸る気持ちを抑えてモビーディック号に乗り込んだ。

そして…………

ついに念願だったマルコ隊長と再会を果たした。

10年ぶりに見るマルコ隊長は、歳月に培われた威厳と風格が備わっていた。

でも、柔らかな印象はあの頃のままで……

その変わらない風貌に、10年前の出来事が昨日のことのように鮮明に蘇る。

激突から救ってもらえた時の、安心感。

温かい腕に包まれた時の、ぬくもり。

テディベアの炎を消してくれた、優しさ。

心の奥底に響いた、あの微笑み。

そして、温かな光を放つ、青い瞳……

どんどんどんどん、あの時のたまらない気持ちが溢れ出た私は、気が付けば救って貰った過去と共に想いを告げていた。

周囲にいたクルーはどよめきを上げていたが、気にもならなかった。

10年間蓄積され、膨らみ続けたマルコ隊長への想いは、もう破裂寸前だったのだ。

でも、結果は見事に玉砕────。

騒ぐクルーたちを一喝したマルコ隊長に淡々と、でもはっきりと告げられた。

『助けた憶えもないし、付き合うつもりもない』と。

焦がれ続けた希望が、一瞬で崩れた瞬間だった。

この10年間、何度も何度も夢想したマルコ隊長との再会は呆気なく幕を閉じ、積年の想いは打ち砕かれた。

絶望的な気分だった。

私にとって命を救って貰えたことはこの上なく重要な出来事だったけれど、マルコ隊長には取る足らない出来事だったのだ。

忘れても何の障りもない出来事。

悲しかった。

苦しかった。

受け止められなかった。

マルコ隊長が、全てだった。

好きで、好きで、死ぬほど好きで。

マルコ隊長がいるから、私は生きている。

どこにも居場所なんてなかった。

薄暗い部屋で、独りぼっちの日々を過ごしていた。

でも、あの日。

マルコ隊長に出会って、私の人生は変わった。

真っ暗だった世界が、パッと色付いた。

生きる意味を知った。

何の希望も願望も持てなかった私が、夢見る少女になれた。

再び彼に会うために、人生の全てを捧げてきた。

それ、なのに…………

たった一度の拒絶ですんなり諦められるはずがなかった。

そんな簡単に忘れられるなら、最初から無謀な想いを抱いたりしない。

だから、何度も告白した。

受け入れて貰えなくても。

振り向いてくれるまで告白を続けようと思った。

けれど、船の中で一番忙しいマルコ隊長を、自分の都合で毎朝呼び止めるのは迷惑だと分かりはじめて……

1年間告白をして、ダメだったら自分の気持ちに決着をつける。

そう決めた。

それ以来、毎朝マルコ隊長に告白するのが私の日課になったのだ。

どこにも居場所なんてなかった。

薄暗い部屋で、独りぼっちの日々を過ごしていた。

でも、あの日。

マルコ隊長に出会って、私の人生は変わった。

真っ暗だった世界が、パッと色付いた。

生きる意味を知った。

何の希望も願望も持てなかった私が、夢見る少女になれた。

再び彼に会うために、人生の全てを捧げてきた。

それ、なのに…………

たった一度の拒絶ですんなり諦められるはずがなかった。

そんな簡単に忘れられるなら、最初から無謀な想いを抱いたりしない。

だから、何度も告白した。

受け入れて貰えなくても。

振り向いてくれるまで告白を続けようと思った。

けれど、船の中で一番忙しいマルコ隊長を、自分の都合で毎朝呼び止めるのは迷惑だと分かりはじめて……

1年間告白をして、ダメだったら自分の気持ちに決着をつける。

そう決めた。

それ以来、毎朝マルコ隊長に告白するのが私の日課になったのだ。