Novel
大切なもの - 08
南の海のような、淡い水色の絨毯が敷いてある名前の部屋。
趣味で買った小物や、贈ったプレゼントが飾ってある棚に置かれた二人の写真はフレームごと伏せられている。
二番隊の奴らと撮った写真はそのままなのに。
そのことに少なからず落ち込みながら、おれは借りてきた猫よろしく促されたベッドに大人しく座る。
「……あのね、マルコ」
隣に座ると、名前は少し間を置いて話を切り出した。
「私、ずっと自信がなかったんだ……私とマルコが付き合った時、私まだ見習だったでしょ。でもマルコは一番隊の隊長で、みんなから尊敬も信頼もされてた。そんなマルコに告白されて嬉しかったけど、どうして私なんかにって疑問が拭えなくて……マルコはずっと優しかったけど、一番隊隊長と見習いの不釣り合いな関係に、いつも引け目を感じてたんだ」
心の内を吐露する、名前。
そんな風に考えてたなんて、おれはちっとも知らなかった。
「……そんな時、マルコが島で女性を買ってるのを知ったの。ああ、やっぱりって思った。私が至らないせいでマルコは他の女性を買うんだって。仕方ないって必死に言い聞かせた。見習いの私がマルコと付き合えるだけで、幸せと思わなくっちゃって……」
違う。
違うんだ、名前。
名前は悪くない。
なにも悪くない。
なんの不満もなかった。
完璧だった。
おれの理想そのものだった。
ただ、おれがクズなだけだ……
「……本当はマルコが他の女性を抱くのが嫌だった。嫌で、嫌で、たまらなかった……」
俯いて、名前がぐっと唇を噛み締める。
「でも、もし『浮気をやめて欲しい』って言って、『だったら別れてくれ』なんて言われたら、私はきっと立ち直れない。だから、怖くて言えなかったの。私さえ我慢しておけば、マルコとの関係は続くんだって……」
切なさに満ちた名前の横顔に、ぎゅうっと心臓が鷲掴みにされる。
ズキン、ズキンと疼き、胸が張り裂けてしまそうだった。
こんなにも名前を思い詰めさせておいて……名前には気付かれていないと、いい気になって遊んでいたおれは、正真正銘の馬鹿野郎だ……
「……それでもね、やっぱり辛くて、一度だけ、気持ちが揺らいだことがあるの。別れた方がいいんじゃないかって。マルコに私は必要ないんじゃないかって悩んで……」
頼りなげに視線を彷徨わせた名前は唇を一度引き結び、それからふっと柔らげる。
「……でもそんな時、マルコがこの指輪をくれたんだ。嬉しかった。マルコの胸のマークが入ってて、ああ、私まだマルコの傍にいていいんだ……って、そう思うと、泣けちゃって……この指輪を支えに、いつか私だけを見てくれる日を待とうって、決めたんだ……」
名前は指輪に触れ、静かに瞳を閉じる。
堪らず名前を抱きしめた。
名前は突然のことに驚き「マルコ……」と名を呼んで狼狽えているが、おれは腕の中に名前を閉じ込めて離さなかった。
「……名前、名前……」
細い首筋に鼻先を埋める。
あの日に嗅いだ匂いとは違う、なんにも混じっていない純粋な、名前の香り。
名前の……名前だけの、甘くて優しい香りに包まれる。
「……許してくれ……名前がそんな思いをしてるなんて、考えもしなかった……」
「マルコ……」
「名前に至らない所なんて一つもないよい。全部おれが悪いんだ。二度と裏切らない。だから、頼む……エースの元へは行かないでくれ」
名前に捨てられたらおれは生きていけない。おれには名前が必要なんだと縋り付いて懇願すると、束の間口を噤んでいた名前が言葉を紡ぐ。
「…………エースには、ちゃんと断ったよ」
「……っ、本当、かい」
「うん、だって私はマルコが好きだから……」
何度も裏切り、何度も傷付けたおれを、名前はまだ好きだと言ってくれる。
嬉しくて、幸せで、胸に熱いものがぐぅと込み上がる。泣いてしまいそうだった。
でもそんなかっこ悪いところは見せられない。顔を強張らせて、名前を抱き締める腕にぎゅうっと力を込める。
「おれも、名前が好きだよい。今まで本当にすまなかった。二度と泣かせたりしないと誓うから、おれのとこへ戻ってきてくれるかい……」
震えそうな声で告げるおれを、名前が腕の中から見上げる。
「……戻るも何も、私は元からマルコのものだよ。……でも、本当に、もう遊んだりしない……?」
「ああ、約束する。もう二度と裏切らない。二度と泣かせない。名前がいない間、苦しくて堪らなかった。これから先もずっと傍にいてくれ。好きだよい、名前」
目を見て誓うと、その綺麗な瞳の中がみるみるうちに潤んでいく。
やがて限界を越えて、静かにポロっと零れる涙を指先で拭い、唇に口付けを落とす。
「愛してる、名前」
離した唇で愛の言葉を捧げると、名前の大きな瞳から、もう一筋涙が零れた。
その涙も、綺麗だった。
