Novel
タブー - 01
例えば、目が合った時や、手が触れ合った時。
もしくは、優しく微笑まれた時や、ふいに頭を撫でられた時。
あるいは、重い荷物を持ってくれた時や、手の届かない高い場所の物を取ってくれた時。
そんな時、強く思う。
声など嗄れてしまえ、と。
だって、このままじゃ叫んでしまいそう。
『あなたが好きです』と。
だけど、それは禁句なのだ。
私を海に誘ってくれたのはマルコ隊長だった。
彼は私が働いていた酒場の常連さんで、店が突然閉店することになった時、声を掛けてくれた。
海へ出ることに不安はなかった、とはとても言えない。
でもこの物騒な時代を女だてらに一人で生きてきた私は武器もそれなりに扱えたし、何より店によく来てくれていた白ひげ海賊団の皆さんの気さくさが好きだったから、船に乗ることを決めた。
ただ、乗船にあたり出された条件がひとつある。
『家族と恋愛は禁止だよい。これだけは守ってくれ』
白ひげ海賊団は、船長を筆頭にクルー皆で一つの大きな家族。
つまり、船上では誰とも付き合うなと言うことだ。
もちろん承諾して、船に乗った。
そして私はマルコ隊長の隊に配属が決まり、彼と接触する機会が多くなった。
これが誤算だった。
恋愛はするな?
じゃあ、
優しくするな!
そう言いたくなるほど、彼は優しくて魅力的だった。
「名前です。入ってもよろしいですか」
コンコンと扉を叩けば、中から「開いてるよい」とすぐに返事が返ってくる。
部屋にお邪魔すると、執務机で書類と格闘している彼の姿が目に映った。
「お忙しいですか?」
「んー……」
「お忙しいなら出直しますが」
「いや、すぐ終わるからそこで待っててくれよい」
マルコ隊長は山積みの書類にペンを走らせつつ、執務机の隣にある革張りのソファを指す。
マルコ隊長らしい、シックな黒いソファーだ。
私は「はい」と返事をして、言われた通りソファーに腰を下ろす。
部屋の中は湿度が高く、少し蒸し暑かった。
夏島海域を航海中だから、それも仕方ないが。
おとなしく待ちながら、ふとマルコ隊長を見る。
普段はかけない眼鏡をかけ、少し険しい表情で一枚、また一枚と書類を捌いていくマルコ隊長。
その額には汗が浮かんでいる。
やはりマルコ隊長も暑いようだ。
しかし、汗をかきながらも真剣に取り組むその姿は、戦闘中とはまた別な味わいがあって、それを見れただけでもここへ来て良かったと心底思えるほどだった。
そのまましばらく眺めていると、額の汗がツーっと頬を滑っていく。その流れる汗に、つい目を奪われる。
あぁ……
色っぽいな。
ただ汗が流れているだけなのに、胸が高鳴る。
どうしてこの人は、こんなにも色気が溢れているんだろう。
叶うなら、その汗になりたい。
なんて……
そんなことを思う私は、すでに末期だ。
ハァ……
切ないなぁ。
いつまでこんな不毛な恋をしているんだろ。
早く、諦めなきゃ……
視線を落としてぼんやりしていてると、椅子を引く音が聞こえてくる。
惚けていたせいで、一瞬出遅れて。
見上げると同時にポン、と頭に乗る大きな手。
ふっ、と穏やかに微笑む笑顔。
胸がドクンと跳ね上がり、グッと息が詰まる。
…………ほら、
諦めようとしても、あなたはまたこうして私の気持ちを縛りつける。
こんなことしておいて
『恋愛はするな』
なんて、残酷すぎるよ。
「待たせて悪かったな。名前も忙しいのによい」
「……いえ、私は大丈夫です。自分の仕事はほとんど終わらせましたので」
「ならよかったよい。で? 用件は何だい?」
「ああ、えっと、サッチ隊長から領収書を受け取ったんですが、この間の納品書の数字と違う気がして確認に来ました」
領収書を渡すと、マルコ隊長は事務用のキャビネットから4番隊のファイルを取り出し、目的の数字を確認して戻ってくる。
「確かに違ったよい。よく気付いたねい。この数字が違うと月締め作業が大変だから助かったよい」
「前に納品書を受け取った時、サッチ隊長とつい話し込んじゃったので、なんとなく頭に数字が残ってたんです」
お役に立てて良かったです、と微笑むとマルコ隊長がなんとも言えない微妙な顔をした。
てっきり微笑み返してくれると思っていたのにどうしたんだろう。
思っていた反応と違う彼に首を傾げると、丁度その時ノックもそこそこにエース隊長が部屋に駆け込んできた。
「なぁマルコー、書類で分からねェ箇所があるんだ、教えてくれよ。お、名前も居たのか」
「こんにちは、エース隊長」
挨拶をすると、エース隊長が「おう!」と元気良く言いながら、陽だまりみたいに笑ってくれる。
「エース、お前ェはノックのあと返事を待つことを覚えろい」
「部屋に入る前からマルコが居るのは気配でわかってたんだからいいだろ」
言っても無駄だと諦めたのか、マルコ隊長は嘆息をして先を促す。
「んで、分からねェ箇所ってのは?」
「ここなんだ。この計算がどうにも分からなくて」
「あー、これはこっちの計算式をあてはめてだな……」
「えー、なんだよそれ、難しすぎて意味わかんねェ」
エース隊長が、頭を掻き毟る。
チラッと書類を覗き込むと、確かに難しいがマルコ隊長の書類を手伝う時によく使う計算式だった。
「あの、良かったら私がやりましょうか?」
頭を抱えて呻るエース隊長を見かねてそう提案すると、二人とも一斉に私を見た。
「ホントか、名前!」
「ダメだよい、名前!」
喜ぶエース隊長とは対照的に、自分でやらなきゃ覚えないと言う厳しいマルコ隊長。
マルコ隊長の言い分は最もだと思う。
だけど、エース隊長はつい最近隊長に就任したばかりで、きっと覚えることがたくさんあるはず。
あとで計算方法を詳しく書いてエース隊長に渡しますから、とおこがましさを感じつつもお願いすると、マルコ隊長は渋々折れてくれた。
「分かったよい。ただし次からは必ず自分でやれよい、エース」
「ああ、そうする! ありがとな、名前!」
エース隊長は満面の笑みを浮かべると、突然両手を広げ、ガバッ、と私に抱きついてきた。
急に視界が暗くなる。メラメラボディの皮膚がおでこにくっついて、熱い。なぜか甘いお菓子のような匂いもする。
わりと、いや、かなり、いや、すごく驚いて、思わず固まっていると、マルコ隊長がベリっと引き剥がしてくれた。
「なにやってんだ! 離れろよい!」
「なんだよ、感謝の気持ちを表しただけだろ。ああ、そうだ。じゃあ代わりにこれやるよ、名前」
エース隊長はズボンのポケットをゴソゴソして、紙に包まれたまん丸いお菓子を取り出した。
「マカロンだよ。さっき、食堂に行ったらサッチがくれたんだ」
それを未だ固まる私の手のひらにのせると、エース隊長は部屋の出口に向かって歩いて行く。そのまま出ていくのかと思いきや、扉の前で立ち止まり、振り返って言った。
「あっ! そういえば、サッチがナースと付き合い始めたらしいぜ。結構可愛い子。船で女が出来るとか羨ましいよな。みんなには言うなって口止めされたけど、アンタにならいいだろ、マルコ。まあ、他の奴には内緒にしてくれな」
エース隊長はそう言い残して部屋を出て行った。
