Novel

ビッチな彼女 - 05

『私、セックスが大好きなんです』

オブラートにも包まないその過激な台詞をぶつけられたのは、男とホテルから出てくる彼女を何度か見たあとだった。

上陸したばかりの街。娼館へ繰り出す野郎どもを見送ったあと、ネオン街から少し離れたバーカウンターでおれは一人飲んでいた。そこへ、ふらりと現れた名前が隣の席に座り、開口一番そう言い放ったときは、危うく酒を噴き出す所だった。

カウンターの向こうでシェイカーを振っていたバーテンダーも、ぎょっとした表情を浮かべ、一瞬手を止めていた。

もちろん、訪れた島々で彼女が一夜の関係を持っていたことは知っている。男だって女を買うし、お互い海賊だ。干渉するつもりは一切ない。だが、いざ本人の口からその言葉を聞くと、相当な衝撃があったのは事実だ。荒くればかりの野郎どもでさえ、そこまで率直な物言いはしない。

本来秘めたるべき情報を平然と暴露する姿に最初こそ眉を顰めたが、飾らないその姿が魅力的に見えてしまったおれは、最初から彼女に惹かれていたんだろう。

屈託ない笑顔と、弾む会話。

人の懐へするりと入り込んできた彼女と話すうち、『イゾウ隊長』から『イゾウさん』に変わり『イゾウ』と呼ばれる頃にはもう、彼女しか見えないほど惚れ込んでいた。

「ねぇイゾウ、この角度で撃てば、あのキツネに当たるかな?」

「もう少し、右だな」

射的の照準器を覗きながら尋ねてくる名前に答えると、彼女は「このくらいかなぁ」と目を眇めて微調整を始めた。

年が明けて早々。上陸した街に降り立ち、二人で初詣に向かった神社の一画に設けられた催し。りんご飴やたこ焼きの賑やかな露店が立ち並ぶ中で、名前が目を輝かせたのは射的だった。

お参りを済ませたあと、『あれやりたい!』と繋がる手をぐいぐい引っ張る彼女に連れられ、着飾った参拝客の間をすり抜けて今に至る。

「よし、ここだ!」

陳列された景品棚の三段目、赤い敷物の中央にちょこんと鎮座する小さなキツネに狙いを定め、名前が引き金を引く。ポン、と威勢のいい音が響き、コルク弾が標的に被弾する。ぐらっと傾き、両足を上げながらキツネが棚から落ちていく。

「やったー!!」

「へー、お嬢ちゃんやるもんだねぇ」

喜んで飛び跳ねる名前に、年配の店主が感心したように蓄えた顎ひげを撫でた。キツネを受け取った名前は他の景品を合わせて持ち「みてみて、三つも取っちゃった!」と、はしゃぎながら胸元で披露する。

「ああ、良かったな」

おれが微笑むと、彼女はにこっと人懐っこい笑顔を見せた。

正直、名前がこんなに射撃センスを持っているとは思いもしなかった、というのが本音だ。

名前と付き合い始めて以来、おれが射撃の訓練に精を出す間、隣で興味津々に見つめてくる彼女に『撃ってみるか?』と愛銃を手渡したのが始まりだ。最初は中々当たらなかったが、構え方や狙い方を教えるとすぐに感覚を掴み、的に当ててみせた。元々体幹がいいのだろう。銃身のブレがほとんどなく、狙い通りに撃ち抜く名前の射撃の腕前は舌を巻くほどだった。

まあ、それから時々教えているからこそ、露店の射的も『あれやりたい!』とせがまれるわけなのだが。

「こういうのが欲しいなら、いくらでも買ってやるよ」

満面の笑みを浮かべて彼女が抱えているのは、先ほど取ったお手玉サイズのキツネと、その一回り大きなヤガラのぬいぐるみ、そして甘そうな菓子だ。

「わかってないなぁ、ゲームで取るから面白いんじゃん。次はイゾウの番だよ」

「おれもやるのか?」

「うん、勝負しよ」

「まあ構わねぇが、勝負になるかねぇ」

相変わらず、勝負好きな彼女に苦笑をこぼす。

名前は競い合うのが好きで何かにつけて勝負を挑んでくるが、おれにはまだ勝ったことがない。

おれに勝敗のこだわりはないが、負けたときにむくれる表情がかわいくて付き合っていると知ったら、彼女はどんな顔をするだろう。そんな顔さえかわいいのだろうと思うと自然に口元が綻んでしまう。

「そんな余裕ぶった顔して」

「年季が違うからな」

クスリと笑うと、彼女の柔らかな頬が焼いた餅のように膨らんだ。やはりかわいいと思う。

何年も恋焦がれた相手だ。勝たせてやりたい気持ちはやまやまだが、ゲームとはいえ、銃の対決で負ければ立つ背がない。今回は譲れないがそのうち彼女の得意なもので勝負を挑んでみるか。そう思いながら懐の金に手を伸ばすと、そのやり取りを見ていた店主が声を掛けてきた。

「兄ちゃんは射的が得意なのかい」

店主の問いに、名前の表情がパッと一変する。

「そうなの、どんなに遠くても百発百中だよ!」

自分のことのように自慢げに答えてくれる。数秒前と違いすぎる態度に思わず込み上がる笑いを堪え、おれは店主に曖昧に笑ってみせた。射的が得意なわけではないが、まさか本物の拳銃を扱うのが得意だと言えるわけがない。

「それなら、こっちに挑戦してみるかい」

名前の言葉に店主がニッと笑い、一番奥の棚を指した。

そこは雛壇状になっている景品棚のさらに奥、天井から吊り下げられた簡易棚で、景品は置かれているようだが、なぜか敷物と同じ布で覆われていた。

「へぇ、ここも棚になってたんだ」

棚の存在に気付いていなかった名前はそんな声を漏らす。

店主によれば難しさを考慮した分、珍しい景品を置いているが、元日から今日まで一発も当たらず、泣き出す子供が続出したため隠していたそうだ。苦い笑みを浮かべながら店主が布を取り払うと、なるほど、確かにこの辺りでは見かけない代物がたくさん並んでいる。これは子供が欲しがるだろう。

「値段は同じだが弾は一発だけの一回勝負。どうだい、やってみるかい? そっちのお嬢ちゃんも」

通常の一回五発からすれば割高だが、景品には高価なものも見受けられる。もう少し値段を上げた方がいいと思うが欲のない店主なんだろう。

どうするかと迷う猶予もなく、再び名前が声を弾ませた。

「やりたい! これで勝負しよ! ね、イゾウ、お願い!」

惚れた女に熱望されて拒める男は果たしてこの世にいるだろうか。もしいるとすれば、そいつは男じゃねぇな。

「ああ、やろうか」

おれの返事に名前の笑顔が輝きを増す。ころころと、よくそんなに表情が変わるものだと感心すら覚える。バーで初めて会話したときは大人びていると思ったが、仲が深まるほど口調も態度も砕けていくのは彼女の魅力のひとつなんだろう。

「じゃあ、二人分たのむよ」

金を支払い、弾を二発手に入れる。ちょうど昼時に差し掛かったためか、露店で食いものを買っている親子連れはちらほら見受けられるが、先ほどまで賑やかだった子供たちの姿は影を潜めている。店主が声を掛けてくれたのはそれも関係しているんだろう。良いタイミングにきたもんだ。

「ありがとう、イゾウ。今度は私が払うね」

「いらねぇっていつも言ってるだろ。一緒にいるときはおれに甘えてくれ。それより早くやらねぇと子供たちが戻ってきちまう」

「あ、そうだね。イゾウから撃ってよ」

名前から撃てよ。おれはあとでいい」

彼女を優先してコルク銃と弾を差し出す。銃は他にもあるが、おれが狙うものは最初から決まっている。同時に撃つよりも交代した方が都合がいい。

「じゃあ、お言葉に甘えて」

迷いながらも銃を受け取った名前が弾を込め、真剣な表情で狙いを定める。景品棚に並ぶものはどれもがそれなりに重量はありそうだ。その中のひとつ、ピタリと銃口が向いたのは、渦を巻いた貝殻──空島の音貝だった。

そういえば、彼女は以前から空島に興味を持っていた。『地面が大地じゃなく雲なんだよ!? 信じられる? みんな雲の上で生活してるんだよ!? 挨拶は『へそ』だし、行ってみたいし言ってみたい!』と酒を片手に興奮気味に話していたのを思い出す。空島はおでん様がまだモビーに乗船していた頃に行ったことはあるが、いつか名前を連れて行ってやりたいものだ。

「よし、いくよ!」

名前の掛け声と共に、ポンッと弾がはじき出される。弾は見事命中するが、音貝は微動だにせず落下には至らなかった。

「あー、残念。やっぱ厳しいかあ」

「惜しかったな」

「部屋に飾りたかったのに……」

悔しがる彼女の肩を軽く叩き、銃を受け取る。

「でも、よく当てたよ」

「そんなこと言って、イゾウは落としちゃうんでしょ」

「さあ、どうだろうな」

「どれを狙うの?」

レバーを引き、弾を装填する。名前の問い掛けに答える代わりに銃口をひたりと向けた。

「イゾウも、あれを狙うの?」

「ああ」

彼女が狙っていたものにおれも照準を合わせる。雛壇の景品から距離はおよそ倍。きちんと整備もされていないオモチャの銃では、当てるだけでも難しいだろう。ましてや弾は飛距離の出ないコルク弾。名前は残念がっていたが、命中させただけでも表彰ものだ。店主も驚いていた。

「頑張って、イゾウ」

勝負を挑んできたことを忘れたのか、声援を送ってくれる彼女に頬が緩む。軽く頷き、神経を集中させた指先で静かに引き金を引く。軽やかな音が耳に響き、回転を加えたコルク弾が螺旋を描きながら貝殻の先端に命中する。力強い一撃が音貝をくるりと一回転させ、優雅に落下させた。

「わー! 本当に落としちゃった! やっぱりすごいね! イゾウは」

名前が感嘆の声を漏らしながらパチパチと手を叩く。その横から、店主が落下する直前に両手でキャッチした景品を差し出してきた。

「いやー、兄ちゃんやるねぇ! まさか本当に落とすとは思わなかったよ。もう少し手を出すのが遅かったら地面に落ちてヒビが入るところだった」

地面の上にはクッション代わりの布が敷かれているが、天井近い高所から落下すればヒビくらい入るだろう。店主は危ない危ない、と笑いながらおれに音貝を手渡すと、雛壇に並んでいる景品をひとつ掴み、それを名前に差し出した。

「お嬢ちゃんも惜しかったからな。ほら、これ持っていきな」

「え!? 私までいいの?」

「ああ、遠いのによく命中させたよ」

「やったー、ありがとう!」

店主が渡したものは、名前が三発目に外していた袋に詰まった綿飴だった。彼女が引き金を引く瞬間、後ろを歩いていた子供の腕が当たり軌道が逸れたのだ。狙いは正確で威力もあり、アクシデントがなければ獲得していたものだろう。よく見ている店主だ。

「いや、こっちこそ楽しませて貰ったよ。あんたらはこの辺の人じゃないようだが、よかったら来年も来てくれ。毎年ここで露店を出してるから」

「ああ、近くを通ったらまたくるよ」

「奥の景品も取れるように腕を磨いておくね!」

名前がそう答えると、店主が笑って見送ってくれた。

そのあとおれたちは他の露店も見て回り、軽く腹を満たして帰路に就く。隣を歩く彼女は先ほど取った射的の景品をしっかりと抱え、ご機嫌な様子だ。

「やっぱり、イゾウってすごいね」

「ん?」

「射的だよ。イゾウが外さないのは知ってるよ。でも、命中しても落とさなきゃいけないし、私が当てても揺らすことさえできなかったものを弾いて落とすなんて、力の差を歴然と感じたというか。本当にすごいしか出てこないよ。勝ち目あるかなって期待したんだけど、全く歯が立たなかったね」

「これでも隊長だからな。得物を使うゲームで負けてりゃ選んでくれたオヤジに顔向けできねぇだろ。それに、これはおれも欲しかったからつい本気になっちまった」

音貝を懐から取り出して軽く持ち上げる。意外な発言をしたつもりはないが、唖然とした表情で名前がこちらを見上げてきた。

「イゾウ、欲しいものあったの? 誕生日に聞いても欲しいものはないって言ってたのに、あれ嘘だったんだ」

「嘘じゃねぇよ。ずっと欲しかったものは手に入ったからな」

「音貝のこと? だって、いま手に入れたばかりでしょ?」

首を傾げる名前に思わず笑みがこぼれる。五年間秘めていた想いとはいえ、隠しきれない言動は滲み出ていたはずだ。それでも全く気付かれなかったのは、本人の鈍感さゆえもあるのだろう。

「おれが欲しかったものはいま隣にいる。それ以外に欲しいものなんてひとつもねぇよ」

気取るつもりもない本音を漏らせば、彼女の足がピタリと止まった。隣をキョロキョロされたらどう説明しようと思っていたが、見上げてくる目元は赤く色づいている。

「で、でも、音貝が欲しくて本気になったって……」

「そりゃ、名前が欲しがってたからな」

「え?」

「お前の欲しいものが、おれの欲しいものだよ」

射的で先行して貰ったのは、名前が外したときに同じものを撃ち落として渡すつもりだったからだ。

「部屋に飾るんだろ」と、先客のぬいぐるみがいる手のひらに乗せようとするが、名前は「だめだよ」と困ったような表情で手を引っ込める。

「イゾウが取った景品だもん、勝負に負けたのに貰えないよ」

「お前が欲しがってたから狙ったんだ」

喜ぶ顔が見たかったのだが、上手くいかないものだな。こうなっては市販の音貝を購入して渡しても、もう受け取ってくれないだろう。

「貰ってくれないか?」と再び問いかけると、名前はおれと音貝を交互に見て少し悩んだ。

「うーん。じゃあ、私がイゾウとの勝負に勝ったときに貰うのはどうかな? ご褒美みたいでやる気もでるし」

「ああ、それがいいな」

彼女らしい提案に頷く。確かに名前の性格を考えれば勝負に敗北したのに、すんなり受け取るはずがなかった。

「なら、早く勝ってくれよ」

「その余裕がいつまで続くかな」

ふふん、と名前が不敵に笑う。何か巧妙な秘策でもあるのだろうか、と思案し、ふといつぞやの酒のことを思い出す。部屋で酔っ払い、正体を失くした名前に脱がされ裸でのし掛かられた日。空が白むまで辛抱強く耐え忍んだあの時は、一体これは何の罰だと天を仰いだが、その切っ掛けがなければ、いまも彼女は隣に居なかっただろう。

「ところでさ」

「うん?」

見慣れぬ街並みに目をやりながら再び歩き出していると、ふいに名前が声を上げた。

「イゾウって、聞いてるこっちが恥ずかしくなるようなことはサラッと言うのに『好き』とか『愛してる』は全く言ってくれないよね」

「言葉にしないと不安か?」

「そうじゃないけど……でも、まだ一度も言われたことないなって思っただけ」

彼女は前を向いたまま、ほんの少しだけ唇を尖らせている。言われてみれば、確かにそういうことを口に出したことはなかった。この関係に至ったときでさえ、口にしていない。

正直なところ、言葉で好きや愛してるというのはあまり得意ではない。名前に対する想いは言葉よりも態度や行動で示したいと思っているし、その方が遥かに重みがあると感じている。それに、口に出そうが出さまいが、おれが彼女へ向ける想いは決して変わらない。

これまでも、これからも。

「まあ、イゾウが好き好き言うのはなんか似合わないから、別にいいんだけど」

頭の中の想いをどう言葉にするか悩んでいるうちに、名前は自己完結に至った。不満や不安を抱いているのかと思ったが、にこっ、と突き抜ける今日の青空と同じような晴れやかな笑顔を見せてくれる。

「言葉がなくても、愛情はいっぱい感じてるしね」

「それは良かった」

「だから、イゾウが言わない分私がたくさん言うね。好きだよ、イゾウ。好き、大好き」

屈託のない笑顔を向け、彼女がぎゅっと手を握ってくる。どうして彼女はこんなにもかわいいのだろう。愛おしい。愛おしくて堪らない。

今すぐ抱きしめてキスしたくなる。

恋焦がれた五年と、付き合い始めて今日に至るまで、数えきれないほど何度も思ってきたことだ。

そしてこれからもずっと、おれは彼女を愛おしく思っていくのだろう。

その夜、自室でいつものように名前を抱き潰してしまったおれは毎度のことながら少し反省しつつ、疲れて眠る彼女を見つめていた。

長く抑制していた欲望は、名前の滑らかな肌に触れると一気に解放され、際限なく求めてしまう。

『セックスだけは自信があったのに』と、のたまう唇を己のもので封じ込め、腰を突き上げ名前の奥深くに溶け込んでいく。艶やかに響く声が泣き出す寸前のように代わり、絶頂が近付くに合わせて腰にぎゅっと絡まる脚や、しがみつく仕草がかわいくて堪らない。本人すら気付いていない、名前の癖。

そのせいで初めて抱いた日に思わず彼女の中で果ててしまったが、他の男にも同じことをしていたかもしれない。そう頭によぎると、かつてこの肌に触れた者を残らず消してやりたい衝動に襲われる。どうにか耐えるのは、おれが名前の最後の男になる自信を持っているからだ。

静かな寝息を立てる唇に口づけると、微かに綿飴の甘みが広がった。普段は苦手な甘いものだが、名前の唇からすると不思議なほどやみつきになっちまう。夢中で繰り返す口づけの中で目覚める気配のない無防備な彼女に微笑みながら、昼間撃ち落とした音貝に手を伸ばす。

名前が求めていた言葉を何度も口にすることは難しい。だが、きちんと伝えておきたい。彼女が欲しがっているならなおさらだ。

だから、この一度に。

おれは彼女への深い想いを込め、音貝の録音ボタンを押す。

いつかこれを聴く名前の姿を思い浮かべながら。

『……────』

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