Novel

ビッチな彼女 - 01

世界最強と謳われる白ひげ海賊団の一員になれたことは光栄だ。

半年前、大きな海賊団を潰したお陰で懸賞金の額が跳ね上がったことも誉れ。

しかし、そのせいで私は悶え苦しんでいた。

「あー! もう限界。セックスしたい」

深夜の人の引けた食堂。

ドン、と酒の入ったグラスをテーブルに叩きつけて叫ぶと、対面の席に座っている着流し姿の男が整った眉をひそめる。

「そういう言葉は、場所を弁えて叫べ」

もっともだ。だから今まで我慢した。

だけど、元来性欲の強い私。

これまでは上陸先の酒場で声を掛けてきた男で欲求不満を解消していたが、賞金額が上がってからは街中に貼られた手配書のせいで顔が売れ、誰にも声をかけられなくなった。だったらこちらから、とモーションをかけても真っ青な顔で逃げられる始末。お陰でここ数ヶ月、禁欲生活を強いられっぱなし。もう我慢もメーターをぶっちぎり、欲望のままに叫んでしまったというわけだ。

「いいじゃん。周りに誰もいないし」

「厨房に数人残ってる」

紅を差した薄い唇が、素っ気なく動く。

彼、イゾウには島で男とホテルから出てくる所を何度も目撃されており、私の性事情は知られているのだ。

いわゆる、“ビッチ”だということも。

まあ、海賊だし? 別に清純派を気取りたいわけでもないからイゾウに知られたところで何ら痛手にはならない。

それどころか、知られたことで赤裸々に語れるようになり、今では一緒にいて一番気楽な人物だ。

「仕込みに忙しそうだし聞こえてないよ。まあ、聞こえたら聞こえたでセックス出来るチャンスかもしれないし」

「仲間に手は出さない主義じゃなかったのか」

「だってもう限界なんだもん。このままじゃ襲いかかる自信あるね」

「妙な自信つけるな。だったら彼氏でも作りゃいいだろ」

「それはやなの。めんどくさいから」

理由は大まかに分けて二つ。

一つは、回数が少ない、下手、相性が悪い。

原因は様々だが、私を性的に満足させてくれる人がなかなかいないから。

もう一つは、付き合ってからそれがわかってもすぐには別れらないこと。

むかーし、むかし、一発ヤッて捨てたら追い回された。

『おれの何がいけないんだ!』って。

『チンコだよ!』と言わなかったことは褒めて欲しい。

まあそのあとストーカーと化した男に待ち伏せされるわ、刺されそうになるわ、家を燃やされるわで、逃げるように海に出た私は白ひげ海賊団の家族に迎えられ幸せに暮らしたとさ。めでたしめでたし、となるのだが。

そんなわけで、私に彼氏など必要ない。

かと言って、大切な仲間をとっかえひっかえすることは出来ないし、困った、困った。

「ねぇ、口が堅くてセックス上手な人知らない?」

「仲間内でか?」

「うん。出来れば回数こなせて避妊を怠らなくて、ついでに不潔じゃなくてアソコが大きくて割り切れる人」

「……注文が多いな」

「これでも妥協してるんだよ。本当は容姿の要望も入れたいもん」

「見た目まであるのか。名前はどういう男が好みなんだ?」

「うーん。改めて問われると難しいけど、マルコみたいな感じかな? もうちょい筋肉が欲しいけど、妙に色気あるし、仕事一筋に見えて夜は激しいとか、想像するだけで楽しめそうじゃん」

「確かに、あいつはねちっこそうだ」

でしょ、と二人で笑い合う。

今頃マルコは花粉症の如く部屋でくしゃみを連発していることだろう。

外界から隔たれた空間で、明け透けな会話が出来るのは本当に息抜きになる。お堅そうな外見から、当初はセクシャルな会話は嫌いだろうと遠慮していたが、イゾウは意外と応えてくれるのだ。

まあ最初こそ、そのお綺麗な顔を大層顰めていたのだが、今は何を振っても答えてくれる。それが、嬉しい。

「あー、面白かった」

他にもマルコネタで笑って渇いた喉を手元のグラスで潤すと、イゾウがさり気なく注ぎ足してくれる。和装美人にお酌されると、安酒でも美味く感じるから不思議だ。可愛い女の子のいる店に男共が通い詰める理由がよくわかる。

「にしても、目の前にいい男がいるってのに、他の男の名を出すかねぇ」

呆れた声に目を丸める。

一瞬、誰を指しているのかわからなかった。

「イゾウをそんな目で見るわけないじゃん。私より美人だし。イゾウだって私じゃ興奮しないでしょ」

彼には何でも話しすぎた。

普通の女性ならまず話さない、性生活を包み隠さずに。

そんな女が性的対象になるわけがない。

「さあな、試してみるか?」

グラスを片手に持ち、イゾウが挑発的に笑う。

「まさか。勃たなきゃ余計生殺しじゃん。それに、残念ながらイゾウはタイプじゃないし」

言い切ると、これ見よがしにため息を吐かれた。

「お前くらいだよ。本人目の前にそんなことを言うのは」

肩をすくめて酒を煽るイゾウに、私はごめん、ごめん、と取ってつけたように謝る。冗談っぽく笑いながら、内心はちょっぴりドキドキしていた。

実際のところ、イゾウの容姿は群を抜いていると思う。

日頃は目の覚める美人で、化粧の下は目を瞠る男前。

好みじゃないと言い切る私でさえ、一緒に飲むと見惚れてしまうこともある。中身だって容姿に負けず劣らずの男前で、性にだらしない私の話を真面目に聞いてくれる優しさも兼ね備えている。

清潔で良い香りもするし、セフレにするなら正直いって二重丸。だけど、この気楽な関係が壊れるかもしれないと考えると、デメリットの方が遥かに大きいのだ。

「そろそろ厨房の連中が出てきそうだな」

「もうそんな時間? 早いなぁ」

「おれは部屋に戻ってもう少し飲むが、名前はどうする? 来るか?」

「もちろん行くよ! イゾウも明日休みでしょ? 久しぶりに飲み比べしようよ」

勝った試しはないが、勝負は挑みたい。

これも海賊ゆえの性なんだろう。

二つ返事で答えて、私たちは食堂を出た。

薄暗い船内を、並んで歩いて行く。

「あっ、お酒足りる?」

居住域に進む階段を降りている最中、ふと思い出した私は足を止める。

「ラム酒が二本ほどあるが、飲み比べするなら心許ないな」

振り返って答えたイゾウは階段を一段下に降りていた。目線の高さで動く赤い唇に、キスしやすい位置だな、なんて不埒な考えが過ぎってしまう。

ほんと、どうしようもないほど溜まってる。

「じゃあ、お酒持って行くから先に行ってて」

「重いだろ。一緒に行ってやるよ」

「平気平気。みんな寝てるだろうし、服装もラフなのに着替えて行きたいから」

「そうか、なら先に戻ってる」

「すぐ行くね」

階段を降りたところで二手に別れる。

イゾウの部屋は左。私の部屋は右側にあるのだ。

角っこの四人部屋。そっと扉を開けて、寝息を立てているナースたちを起こさぬようTシャツと短パンに着替える。二、三日は夏島海域を抜けないと航海士が言っていたから、この格好でいいだろう。ついでに靴もサンダルに履き替え、戸棚に向かった。

可愛い女子が好みそうなカラフルな酒ボトルが並んでいる戸棚。ほとんどナース達のものだ。私はその中から『鬼殺し』と達筆に書かれたラベルの酒瓶を掴み取る。これはイゾウと勝負するときの為に用意しておいたとっておきの秘策なのだ。酒場で男を釣るときは可愛い酒も小道具の一つだが、イゾウに限ってその必要もない。

今日こそ勝ってやる、と拳を握りしめた私は酒瓶を抱えて部屋を出た。

「早かったな」

「着替えるだけだし」

出迎えてくれたイゾウは私を部屋に招き入れ、洗面所へと消えて行く。その背中を見送りながら、勝手知ったる私は入り口でサンダルを脱いで室内に入る。

彼の出身国であるワノ国スタイルが用いられているイゾウの部屋は、床板に『畳』なるものが敷かれ、外履きは脱ぐことになっているのだ。

他の部屋とは全く違う景観に最初こそ戸惑いはしたものの、今では慣れっこだ。というより、長時間床に座ってもお尻が痛くならず、フカフカな座布団の上で足を伸ばせるこの部屋は寛ぐのに最適で、しょっちゅう入り浸っては無駄口を叩いている。主に、下ネタを。

イゾウの部屋は他にも珍しい桐の箪笥や、着物を掛ける木枠のような物があって、元はおでんという二番隊の隊長を務めていた人のものらしいが、彼がこの船を去る際、全て譲り受けたそうだ。

普段はクロゼット──というか押し入れ? の中に仕舞われている布団も敷かれていて、真ん中が繰り抜かれた白いシーツから覗く紅色の掛け布団が妙に艶かしいな、とぼんやり見ていると、静かな足音が近付いて来る。

「待ってたのか? 先に飲んでて良かったのに」

洗面所から戻ったイゾウが、丸い座卓の前に腰を下ろす。座卓の上にはすでにラム酒とグラスが二つセットされている。さすがはイゾウ、準備は万端だ。私は早速ラム酒を手に取り、右隣で優雅に胡座をかいた男のグラスに注ぐ。

「先に飲むと、不利だもん」

わずかに唇を尖らせて言うと、小さく笑ったイゾウがひょいと瓶を掴み取り、今度は私のグラスになみなみと注いでくれる。

「不利も何も、お前の負けは飲む前から決まってるだろ」

さも当然のように言う彼に、私はふふん、と得意げに鼻を鳴らす。

「そうとも限らないよ、今日はコレがあるからね!」

じゃーん、と効果音付きで登場させたのは、座卓の下に隠していたお酒。例の秘策だ。

「鬼殺し?」

「そう。その名の通り、鬼を殺すお酒なんだって」

「おれは、鬼か」

「んー、鬼ってよりはウワバミだけどね。ラム酒が終わったら飲もうよ」

「……まあ、なんだっていいが、」

言いながら、グラスを私のものに合わせる。

カチン、と高い音が響く。

「一度くらい、勝ってみせろよ」

透き通るグラスの向こうで余裕たっぷりの笑みを浮かべるイゾウ。一息でグラスの中身を飲み干す様に、私も負けじとゴクゴク飲んでやる。食堂で飲んでいたものよりも若干キツい、だけど美味しいラム酒が舌を包む。空になったグラスを座卓に置くと、彼がまた注いでくれる。

化粧を落とし、結い上げた長髪を下ろした素顔のイゾウは文句なしの二枚目で、やっぱりちょっと見惚れてしまう。

ふぅ、と酒を飲み切って零す吐息もどこか色っぽくて、同室のナースたちが騒ぐ理由もわかる気がした。

「ねぇ、ここって私の他に誰か来たりするの?」

「誰かって?」

「ナースを連れ込んだり」

「人聞き悪いこと言うんじゃねぇよ。サッチじゃあるまいし連れ込むわけねぇだろ」

整った顔を顰めながら呆れ返る。

そういえば、彼の女性関係はよく知らない。

私のぶっちゃけ話を嫌な顔せず聞いてくれるからそれなりに遊んでると思っていたが、勝手な勘違いなんだろうか。

「合意なら全然有りじゃない? ナースたちに人気だよ、イゾウは」

「だったら、尚更連れ込むわけにはいかねぇな」

「へ? なんで?? 」

「本気になられたら困るだろ」

早くも一本目のラム酒が空き、二本目のコルクを抜きながらイゾウが言う。これを飲み終えると、次はいよいよ鬼殺しの出番だ。

「確かにね。船の中で付き合うとか、面倒しかないもんね」

座卓に頬杖をつきながら納得してグラスを傾ける。と、すぐに「そうじゃねぇ」と返ってくる。

「惚れてる女がいるんだよ」

さらりとぶっちゃけられ、含んだ酒をぶーっと噴き出してしまう。ぽたぽたと顎から垂れる水滴。慌てて手で押さえて拭くものを捜していると、『ったく、仕方のねぇ奴だな』とイゾウが手拭いで拭いてくれる。彼の懐から取り出された手拭いはすごくいい香りがした。

いや、それよりも。

「イゾウ、好きな人いたの!?」

癖のない黒髪から覗く横顔をまじまじと見つめる。言われてみれば、モテるイゾウに浮いた話一つないのは、そういうことだったのだ。

「全然知らなかったなー。告白しないの? イゾウならイチコロでしょ」

「無理だな。相手はおれに興味がねぇんだ。男と認識しているかも疑わしい」

「美人だもんねぇ、イゾウ。私も最初見た時負けたって思ったもん。でもいいなー、片想い。楽しそう」

「馬鹿言うな、相当辛ぇよ。精神的にも、肉体的にもな」

「肉体的にもって、娼館には行くんでしょ?」

「行かねぇよ」

「……え、マジで。いつから片想いしてんの?」

「五年前だ」

「えーーーっ!」

と、大声で叫ぶ私の口を、イゾウの手がむぐっと塞ぐ。

『もう寝ている奴もいるんだから静かにしろ』だって。

目を見てコクコク頷くと、手が離される。

五年というと、私がこの船に来て半年ほど経った頃だ。あんな頃から禁欲生活をしているなんて信じられない。

イゾウに彼女が出来たら気楽なこの関係も、居心地の良い部屋もなくなるのかと胸中しょんぼりしていたが、それどころではない気がしてきた。

「で、でも、娼館は行かないにしろ、一人で発散はしてるんでしょ?」

「ほとんどしねぇよ。虚しくなっちまうからな」

うわー、まじか。と静かめに息を吐く。

“侍”という生き物がこれほど辛抱強いとは思わなかった。頻繁に一人でしている私でさえ、もう誰でもいいから襲いかかってしまいそうな域にいるのに。

「ねぇ、思い切って告白してみたら? 実は相手も同じ気持ちでした、ってよくあるパターンじゃん」

「あり得ねぇな。もし伝えたとしても、わかりきった答えを聞くために関係が壊れるだけだ。それよりお前は?」

「へ?」

「人にばかり聞いてないで、名前はどうなんだ? 気になる奴はいないのか?」

自分の話は終わり、とばかりにノータイムで話を振られる。手元の酒を一気に煽る様子を見ると、話しすぎたと思っているんだろう。イゾウが自分の話をしてくれたのはこれが初めてだった。彼と懇意になって数年。私のことは余さず伝えているが、イゾウのことは何一つ知らなかったんだなぁと今更ながらに気が付いた。

「気になる人はいないけど、強いて言えばやっぱりマルコかな。さっきと同じ理由で夜が楽しそうだから」

「言い寄られたら付き合うのか?」

「ないよ。セフレなら大歓迎だけど、仲間と付き合うとか、別れた後のこと考えると地獄しかないでしょ」

広い船だからそんなに支障はない気もするけど、マルコの元彼女という肩書がついた私とは誰もセフレになってくれなさそうだ。

マルコとは一度寝てみたい願望はあるが、付き合ってもマイナス部分しかない。

「なら、お前もまだしばらくは禁欲生活だな」

「もう! 思い出させないでよ!」

せっかく忘れてたのに、とぷりぷり怒る私を見て、イゾウは肩を揺らして笑っていた。

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